2001年10月10日

10/09 筑波サーキットTC2000 /奇跡的天候回復で晴

 今年唯一平日開催のカップイベント「あ〜るカップ」が昨日TCツクバコース2000で開催された。イベント雨なし記録更新中だった車楽人アソシエーションが突如台風直撃日に見舞われ、イベント開催中止(昭和63年に雪のために中止した富士スピードウェイの走行会以来2度目)した9月に引き続き、台風は発生するし、降水確率は開催日の午前3時の段階で70%。これは絶対絶命ということで、コンビニ回りをして7万円の両替(車楽人アソシエーションではメンバーの方に限り雨のイベントで千円のキャッシュバックをするため)をはじめたくらい。ところが外環自動車を走り筑波サーキットに向かう頃から雲が切れはじめ、常磐道の谷和原を出る頃には完璧に天気回復。今日のような天候からは考えられないイベント日和。晴男パワーは未だに衰えていないようで、実に充実した1日なのでした。24個準備した重たいトロフィーが2個余ってしまいましたので、今後の狙い目はR4クラスです! 次回のカップイベントは12月15日のapカップ、フツーの走行会は11月27日。きっと両日ともに上天気でしょう。今日の日記は完璧に宣伝でしたぁ。


2001年9月10日

9/09 日本海間瀬サーキット /真夏のような晴

 今年3回目のFET&apモータースポーツカップ。同じ日にapカップ仙台ハイランドシリーズの第3戦も開催されているが、なんと2〜4戦の日程がバッティングしてしまうという事態。個人的には両方交互に訪問予定でいたが、取材シフトの都合で間瀬を担当することになり、チェック&テックが行なえないのでハイランドの皆さんには本当に申し訳ない。
 台風15号の接近で悪天候に見舞われた関東地方から関越自動車道に乗り、関越トンネルを通過した先にはドぴ〜かんの晴天が待っていた。群馬県では21度だった高速道路の気温表示が一気に32度で、その差11度! 体の感覚が麻痺してしまいそう。今日の企画はストリートタイヤでSタイヤ装着車に闘いを挑むもの。う〜んんん、路面温度が上がるとタイヤ厳しいゾ〜、と思いながら海がきらきらと輝く間瀬に到着。絶対にサーキットよりも砂浜の方が楽しそうな気候。一度あきらめた夏が戻ってきたようで嬉しいような、実は猛暑に汗ダラダラな1日だったりたりした。ア〜メン。
 さて、レイテック読者の皆様の多くはご存じのように、今年のドラキンはストリートタイヤによるサーキット走行推奨に力を入れている。理由は単純で、サーキット走行を長く楽しんで欲しいから。サーキット生活15年のドラキンの言葉だから、面倒がらずに真面目に読んでおくれ。ラップタイムに大きく影響を与える要素にタイヤのグリップ力が挙げられるのは、皆さん周知のとおり。中にはエンジンパワーという意見もある。長いストレートや登り勾配のあるサーキット(まさに間瀬サーキットだ!)ならともかく、コーナーの多いサーキットでは強大なパワーを路面に伝えるタイヤのグリップ力なくして速いラップタイムは望めない。つまりは、タイヤグリップ力が小さければ強大なエンジンパワーを必要としない。強大なエンジンパワーに必要なのは財力だから、タイヤグリップ力を落とすことはコストダウンにつながるということなのだ。F1やF3000が空力によるダウンフォース低減を図り、コーナリングスピードを落とした理由に等しい。コストを下げ、かつドライバーの安全を確保すること。多くの方が見逃しているが、タイヤグリップの向上は必ずしも安全にはつながらず、ドライバーのレベルを越えたコーナリングスピードによって、ドライバーにリスクを負わせる結果にもつながっている。
 一方では、別の考え方もあって、ハイグリップタイヤとハイパワーエンジンの組み合わせによって、無理なく速いラップタイムをマークすることが最も安全かつ健全な手段とも言える。ただし問題となるのは、パブリックなスポーツに成り得ないという点。20〜30代が中心となるサーキットスポーツにとって、財力を前提とした競争が行なわれるのだとすれば、多くの方が才能とは無関係な経済的理由によって敗退を余儀無くされる。これは健全なスポーツの姿ではなく、大衆スポーツとして、文化として発展する可能性を疎外すると言っても過言ではない。だから昨今の不景気によるモータースポーツ弱体化の社会環境において、ドラキンはストリートラジアル装着車によるサーキットスポーツを強く推奨する。クラッシュすれば板金業が栄え、高額なパーツやタイヤを装着すればショップ業が栄えるので、景気回復に役立つのかもしれないが、それ以前に誰もサーキットを走れないような環境を作ってしまったら、本末転倒なのではないかと思う。さらには、スポーツ本来の精神に立ち返れば、熟練の技を競ってこそ勝利の価値があるのではないだろうか。


2001年9月07日

8/17 茂原ツインサーキット /晴

 車楽人アソシエーション主催では、今年3回目のサーキットスクール開催。今年のスクールパターンは簡易スクール方式。走る時間を確保するために、約30分の同乗走行で集中的なレクチャーを行ない、あとは時間の続く限り、ガソリンの続く限り、タイヤやエンジンが持ちこたえる限り走り続けてもらう。忘れないうちに反復練習を繰り返すということ。テクニックスクールのように特別な技を伝授する機会はないが、ドライバー個々の欠点を探し出したり、最も手近な目標を設定するために、タイムアップ効果が比較的早くかつ顕著にあらわれやすい。
 ドライビングテクニックを磨くために最も有効な手段は走り続けて場数を踏むに限るが、サーキット走行のハイコストはネックになってしまう。毎月2〜3回(2〜3時間以上)は走りたいところだが、実際には「仕事を休まないと走れない」と「仕事を頑張らないと費用が捻出できない」という相反状況に多くの方々が悩まされることになる。そうなると1回のサーキット走行の機会によって、どれだけの成果を上げることができるかが重要になる。サーキット走行の成果として最も分かりやすいのがラップタイムであるのは明らか。ドリフトのように自在にクルマをコントロール出来たり、技を無難にまとめる事で自己満足できるならいいのだが、ラップタイムの場合には結果がでないと満足感を得られない事が多い。限られた時間の中で結果を求める手段として、ハイグリップタイヤを装着し、ハイパワーチューニングを行ない、高性能なサスペンションとブレーキシステムを購入する。これ自体は悪いことではない。もともと走行会の開催目的は、こういったクルマパーツの販売促進であった。同様にサークルが走行会を開催する目的はドライビングテクニックの追求であることが多かった。
 昨今色々な主催者によって行なわれている走行会の開催内容は様々だが、参加者との間に明確なコンセンサスが存在しない事が多いような気がする。主催者はイベント開催による事業収入を主目的とし、参加者はタイムアップを目的とする。繰り返すが、その事は悪いことではない。事業収入のメリットがなくなった主催者は事業を撤退すれば済む。参加者も飽きてしまったり、経済負担が重くなったらサーキットに通う事をやめてしまえばイイ。ドラキンが危惧することは、後者だ。参加者が飽きてしまう事と経済負担の重さ。単に飽きてしまう事は個人差のあることなので仕方ないが、経済負担の重さを引き起こす主因がタイムアップの追求であるのだとすれば、問題を先送りにはできない。高額なクルマ、高額なパーツ(タイヤ)なくしてタイムアップが不可能である現状が問題であるのなら、主催者に大きな問題があったのだと言わざるを得ない。やはりサーキット走行会はスポーツイベント、モータースポーツイベントでなくてはならない、と強い危機感を持っている。本来モータースポーツが持ち合わせていた、ドライビングテクニックの追求の持つスポーツ性を参加者に伝えるのは主催者やクラブの役割だ。ここが欠けてしまう事があってはならない。


2001年8月07日

7/21 筑波サーキットTC2000 /晴ときどき曇

 7月21日に車楽人アソシエーションの主催で『apカップTC2000シリーズ2001-2』を開催した。久しぶりの満員御礼で、賑やかなイベントとなった。近頃は、世間の例に漏れずサーキット走行人口も減少傾向にあるようで、色々なサーキットイベント主催者に話を聞いてみても、定員となるイベントは少なくなっているようだ。言い換えれば、今走っている方々は、お金と時間に余裕のある方々なのか、サーキットへの情熱が特別に強い方々ということなのだろう。バブル崩壊後に同じような懸念があったが、実際には土地価格の下落でサーキットが新たに建設され、サーキット走行が身近になるに伴ってサーキット人口は増えていった。サーキット走行会の開催を始めて16年目となる車楽人アソシエーション(当初はWARPの主催)は、黎明期は主催者の少ない中でサーキット人口を地道に増やし、最近6年間は、サーキット人口の増大でイベント主催者が増える中で、安定したサーキットドライバー(速い・遅いではなく、きちんとした知識と能力を身に付けたドライバーの方々)を輩出することを目標とし、イベント内容を充実させてきた。これからの21世紀は、どうなってゆくのか展望は見えて来ないが、スポーツドライビング(サーキットドライビング)の好きな方々のいる限り頑張ろうと思っている。
 さてapカップの時にイベント進行を行ないながら、事ある毎に参加車の最終コーナーの脱出ラインをチェックしていた。辛口評価で合格点は全体の20%くらい。車楽人アソシエーションのイベントは比較的初心者に重宝されるイベントなので仕方ないのだが、安全面での不安が残る。残念なことに2台のクラッシュ車両が出てしまった。筑波サーキット(TC2000)は最終コーナーの脱出スピードが年々上がってゆくのに対応し、コーナーアウト側エスケープゾーンの改修を行なってきた経緯がある。わざわざ最終コーナーのスタンドを移動させた事もあった。ところが近頃のクラッシュはイン側のコンクリートウォールへの衝突が圧倒的に多くなっている。筆者は、この原因のひとつをタイヤグリップの飛躍的向上と考えている。ややアンダーステア寄りのニュートラルステアが最終コーナーの理想だが、実際にはオーバーステアかアンダーステアが強すぎる状態のクルマが多い。オーバーステアの場合にはドリフトコントロールのテクニックを磨いて回避するが、アンダーステアの場合には、ドライバーが何もわからないままクラッシュに至ることが多い。アンダーステア→コーナー出口でアウト側に膨らむ→あわててアクセルオフする→急激なタックインが起こる→クルマが一気にインを向いてスピン状態→フルブレーキが遅れてイン側コンクリートウォールに激闘。このパターンが多いのは、タイヤグリップ性能が高い程コーナリングスピードが高く、クルマの反応とドライバーの対処はシビアになるためと考えるのだ。ドライバーズミーティングで機会ある毎に「アクセル抜いてイン側コンクリートウォールに衝突するくらいなら、アクセル踏んだままアウト側スポンジバリアに行った方が修理代は安上がりだし、何より自走して帰れる!」と言い切っているくらいだ。


2001年8月01日

心の中のサーキット /曇ときどき雷雨

 月末や締切を抱えていたため、今頃になって新聞を隅から隅まで読みあさり、参議院選挙の記事を読みまくった。前回は不在投票を行なったが、今回は考えるところがあり、棄権している。気になる記述が目に止まった。「著名人効果は期待外れ」。多くの著名人と呼ばれる人達が落選したことを知る。テレビの討論番組から判断する限り、これにはとても納得できる。本当に気になったのは、その評論の中にあった一節。「賞味期限切れの著名人では当選するワケがない」というところ。よく解釈すれば政党批判に思えるのだが、裏を返せば「賞味期限切れが選挙などに出てくるな」ということになる。レーシングドライバー賞味期限切れの危機迫るドラキン(ジャーナリスト『どらどら』ではなくプロドライバー『ドラキン』)にとって心に響く言葉だ。プロレーシングドライバーを選挙候補者の行動に例えてわかりやすく説明をすれば、全日本レベルのレースは参議院比例区、雑誌媒体などの露出が参議院選挙区、サーキットテストや走行会インストラクターが選挙運動ということになる。特別な経済的・人脈的バックボーンを持たない峠出身レーシングドライバーが生き残りを考えるのであれば全て欠かすことの出来ない事。いままで関わってきた同じ志を持ち、また同じ境遇の多くのドライバー達に伝えてきた事であり、自ら実践したきたつもりだ。
 ネガティブまたはプラス思考、割りきりの良さ、持ち前の明るさ、自分が業界に長い理由だと思う。ただし残念なことに2シーズン以上、メジャーレースの現場を離れた身にとって、参議院比例区は厳しい。選挙民すなわちファンからは忘れられ、政党すなわちレーシングチームからの評価は厳しくなる。テストを受ければ解決する問題に思えるが、基本的にステップアップドライバーを対象とする事が多い。
 今でも、参議院選挙区すなわちメディアと選挙運動すなわちサーキット通いは続けているのだが、レース業界は芸能界と似たところが多々あり、日々苦戦を強いられている。もしかすると本当の意味で自らを表現できる場は、このRaTech Web だけになってしまったのかもしれない。多くの読者の方々に感謝の気持ちを表し、無償で様々な情報や知恵を提供する理由なのである。サーキットでの講師稼業、交換日記でのアドバイスなどは、残された数少ないファンへのファンサービスと思っているので、皆さんには遠慮なく利用してもらいたい。必ずドラテクを志す方々、サーキットを気軽に楽しみたい方々のお役に立てるから。少ないながらも、ファンで居ていただける方々のいる理由はそこにあり、心から感謝している次第。賞味期限切れにならないよう頑張り続けられる活力だ。


2001年7月14日

富士インターナショナルスピードウェイ /晴ときどき曇

 FISCOを走るのは98年の年末にRX-7で僅か1ラップを走って以来の事。その1ラップを除けば3年以上のブランクだ。たぶんきちんと走ったのは98年のスーパー耐久レースが最後だったと思う。この時も大雨に加えて、エンジンのタイミングベルトがスピンでコマ飛びするという不思議なトラブル(あとで判ったこと)に見舞われて、ストレスの溜まる走行を強いられた。それ以降はテストやイベントの日(今年も雪で、テストが1回、イベントが1回中止)になると雪が降ってしまい、走行できないままに3年以上が経過してしまった。どうもFISCOとは相性がよくない。まあ経営母体が三菱地所からトヨタに移ったことだし、これからは相性が変わるかもね。今日は気温34度、路面温度51度という状況での過酷なテスト。テストは前回の鈴鹿と同じWESTコルベットC4のZR-1だ。今回のテスト詳細は内緒。1週間後に富士チャンピオンレースが開催されるため、スポーツ走行の台数が多い。1分45秒前後のペースでチェックとテストメニューを消化したあと、5ラップのタイムアタックを行なう。なかなかクリアラップのタイミングに恵まれず42秒後半〜43秒程度でいっぱいだ。コンディションから考えて妥当なタイムではあるが、競争運転手としては納得出来るタイムではない。今日の感触では40〜41秒の確信はある。
 FISCOでラップタイムに影響するコーナーを順に書いてみると
1)最終コーナー(実際にはダンロップコ−ナ−出口80R)
2)ヘアピンコーナー
3)1コーナー
4)サントリーコーナー30R
5)100R
となる。FISCOの難所として有名な100Rが最後に来るところに異論のある方もいると思うが、サントリーコーナーを完璧に立ち上がらないと、並のエンジンパワーのクルマでは100Rは暇であったりもする。また難しいがゆえにタイムアップを短時間で実現するためには最後に残しておくという考え方でもある。
 タイムアタック最終ラップへと向かう最終コーナーでクリアラップが取れた。コルベットはストリートカーだが、チューニングGT−R並のエンジンパワーを発揮するために、Sタイヤ装着のセッティングのまま最終コーナーでラインを外すと、全開クリアが出来なくなってしまう。最終コーナーでアクセルを緩めたタイムロスは1コーナーまでの長いストレートで絶望的なタイムロスを招くから、ベストタイムをマークする絶対条件は最終コーナー全開クリアなのである。1コーナーでの到達速度(タコメーターによる確認で42秒のラップより500回転近くアップ)が明らかに高く、本日のベストタイムを確信した。サントリーコーナーを無難にこなし、100Rで3速レブリミットに当たるあたりで、N1仕様のスターレットに追い付いてしまう。100Rでのタイムロスは小さいが、あまりに速度差が有り過ぎる。やや無理をしてアウト抜きを敢行。ヘアピンにインからアプローチすることになった。実はヘアピンのインは路面状態の問題でブレーキングに厳しい。しかもタイムアタック用にアンチロックブレーキを解除している。案の定、フロントタイヤのロックを抑えきれずにオーバーラン。ヘアピン芝刈りマシンになってしまう。ピットにたくさんの芝を持ち帰ってタイムアタック終了。タイム的にはいまひとつだったがテスト結果はオーライだったので、涼しくなった頃のリベンジが楽しみだ。37〜38秒台には入れられるだろう。


2001年6月26日

鈴鹿サーキット /晴ときどき曇

 予定はかわって鈴鹿サーキット。コース改修後の初テスト。クルマは、今年も定期的な開発テストを担当しているWESTコルベット。日本一速いA−Carを目指して頑張っているクルマだけど、ベース車が現行型よりも前のタイプなので、このクルマの場合は手に入れやすい価格のベース車に様々なチューニングを施して楽しめるようなパーツを開発する事がメイン。
 近頃は、デイトナ24時間レースで優勝し、さらに先日開催されたルマンでもクラス優勝を果たしたC5という現行型コルベットのパーツ開発にメニューが移行してきている。C5は5月の末にTIサーキットで開発テストを行ない、現在様々な対策中のため、今回の鈴鹿はC4コルベットを使い、コルベットのもっともウィークポイントとなっている、ク−リングテストを行なった。WESTという会社のテストメニューと体制は徹底しており、ヘタなレーシングチームよりもきっちりしている。これほどまで真面目にパーツ開発を行ない、データを蓄積するショップは日本でも数少ないだろう。テストに費やす時間と費用は中堅パーツメーカーに匹敵する。こうして積み上げられたノウハウを享受できるコルベットオーナーはラッキーかな。WESTの詳細はウエストホームページで。
 梅雨の中休みとなったテストデーは、気温33度、路面温度50度弱という猛暑な日。クルマよりもドライバーが音を上げそうな日。しかもサーキット暫定テストであるため、水冷式オイルクーラーのユニットが助手席スペースにあり、コクピット内はサウナのような状態。数ラップの走行でも耐久レースなみの体力と集中力を要求される。テスト車に装着されるタイヤはフュージャーというアメリカ製のSタイヤで、国産Sタイヤのようにタイヤ剛性がなく、エア圧を上げて使う必要があり、グリップの低下がとても早い。鈴鹿のように1ラップの長いサーキットでは、コース前半と後半でグリップ状態が変わってくる。それでも数ラップは全開で走らないとテストメニューは消化できないので、気合いを入れてラップを重ねる。ドライバーの重要な役割は、暑さ(熱さ?)に耐える以外に、アメリカンV8ユニットの強力なエンジントルクをリヤタイヤだけで受け止めるが故の、頻繁なスライドコントロールを行なう事。結果は良好で、水温は最高で105度、油温110度キープを達成。ほぼ完璧なク−リング性能が保証された。当日のコンディションでは厳しいと思われたタイム更新も出来たのは副産物だった。
 さて、鈴鹿サーキットの改修ポイントを伝えておくと、おもに東コースの路面改修と、一部コースレイアウトが変更されている。1〜2コーナーに続く左3コーナーのコーナーRがきつくなり、路面グリップが上がってもラップタイム的には差し引きゼロになりそう。2コーナーを立ち上がって3速全開からアクセルオフで入れた以前の3コーナーと異なり、コルベットのスピードではブレーキングが必要になった。もともと鈴鹿のS字コーナーはリズムが大切なコーナーで、逆バンクのアプローチ以外はノーブレーキが基本だったのだけど、今回のレイアウト変更でブレーキングポイントが2ヶ所(テンロククラスだとデグナーまでノーブレーキだけど)になり、S字区間のリズムが変わってしまった。以前の方が好きだったけど、安全面の配慮と思われるので仕方ないのかな。近頃雑誌でもサーキットテストでもスケジュール変更が多いので、今回はサーキット日記の予告はなし。


2001年6月11日

日本海間瀬サーキット /曇一時雨

 さてレイテックウェブが、雑誌廃刊後に自社管理に移行する以前から1年4ヶ月ぶりのドラキンサーキット日記。ドメインの引っ越しからはじまって、現在のコンテンツが固まるまでにさらに半年を要したワケだけど、まさに「光陰矢のごとし」。下に書いたダイエットの結果64kgまで減量した体重は現在67kg。3日に1回の5kmランニングと日々の筋トレは欠かさないものの、やや太りつつある様子。
 昨日は日本海間瀬サーキットのapカップ(正式名称はFET&apモータースポーツカップ)に行ってきた。人の縁とはおもしろいもので、スピマイあ〜る(当社内に編集部があった今は無きサーキット専門雑誌)が創刊された当時、最初に冠イベントとしてスタートした日本海間瀬サーキットのFET&スピマイあ〜るモータースポーツカップが現在のFET&apモータースポーツカップとなり、3年のブランクを経て再び当社がapの担当としてイベント取材と企画のお手伝いに出向くようになった次第。参加する面々はすっかり入れ替わり、97〜8年当時のドラキンを知る者はすっかり減ってしまった。レーシングドライバー浪人も3年目に入るとバリューはすっかり落ちてしまう(テストドライブを行なっている範囲で考える限り、腕前は落ちていないと思うが・・・)のだが、幸いなことに元々が雑誌業界の人間であり、自称「走行会の教祖」であるドラキンは元のサヤに収まっているといったところか?
 今年のapカップは日本海間瀬サーキット以外に仙台ハイランドレースウェイと筑波サーキット(TCコース2000)で開催され、皆様と触れ合う機会も多くなった。間瀬と仙台ではapチェック&テックという企画を毎回行ない、参加者のクルマのセッティング診断やドラテクポイントをドラキンが指摘する数少ない直接対話の機会なので、大いに利用願いたい。今日はEF8/CP9A/AE111/FD3Sの4台をチェック&テック。詳しくは8月10日発売のapマガジンで。なお今日発売された号には仙台のapカップ、7月10日発売号には間瀬の第1戦(今回は第2戦)の模様が掲載される。
 今日のワンポイント! 間瀬攻略の鍵は最終コーナーにあり。クルマによってタイプはふたつ。強めのブレーキングから一気に向きを変える「への字コーナリング」か、弱く長めのブレーキングでじわっと向きをかえる「だら〜コーナリング」。ブレーキング区間が登り勾配であることを意識しよう! 次のサーキットスケジュールは富士スピードウェイでテストの予定。


1月27日

例の某サーキット /はれ

 長かった3日間の絶食は長かった。でも完全に胃が縮んでしまったようで、すでに食欲なし。栄養補給のため、今日のメニューはカロリーメイト1箱と野菜ジュース。それで十分おなかいっぱい。この日はこれ1食だけ。翌日の朝はコーンフレークと野菜ジュース、魚肉ソーセージ1本。こんな調子が今日現在も続いており、体重は64kg(身長は178.5Bです)。絶食開始前は68kg以上はあったから、それなりに減量できてるね。絶食で痩せた場合は身体が養分確保するように働くので、食べた物の吸収力がすごく、また体内脂肪をキープするため一時的に体重減が止まる。今はちょうどその時期のようで、食減らしてても体重キープ中。1ケ月後くらいにはまた減り出すと思う。最終目標は63kgなので、その後はレースシーズンに備えて体重キープに勤めるつもり。
 今年もまだ全日本レベルのレースはまだ決まっていません。ウェストコルベットのテストドライバーは今年も継続することになりました。軽量化の成果を生かしてがんばりますので関係者の皆さんお誘い待っております。
 
 正式なratech.co.jpへの引越予定日が決まりました。2月4日からです。当初は現在のmarcus.neuromagic.co.jp/ratechからでも入れますが、移転後は
「お気に入り」の書き換えお願いしますね。ラップタイムランキングには、ニューサーキットの「HEROしのいサーキット」と「モーターランド鈴鹿」も追加されます。まずはトップページの大変身に注目。スポーツドライビング&サーキット専門サイトへと大変貌する第1弾です。


1月18日

今年は1回も行っていないゾ /今日は晴れだった /寒いぞ /現在40時間絶食中

 考えてみたら、2000年になってから1度もサーキットに行っていない。オフシーズンだから仕方ないけど、サーキット取材やテストがないのであ〜る。ところが原稿書きはえらく忙しい。「くるまにあ」が11日締切、「RX−7マガジン」が14日締切、ドラキン初出版の書籍(雑誌でないのははじめて)が1月末締切。このサイトのリニューアル原稿が2月2日締切。今年に入って何文字書いたか天文学的数字になりそうだ。
 ところでドラキンが原稿を泊り込みで書く仕事部屋に訪問者がやってきた。今年レースデビューするT氏、いやR氏ともいう。レーシングドライバーは体重コントロールが絶対で、なんだかんだ…と長話。体重のあるR氏にはダイエット必然的。そこで3日間絶食することをすすめた。ドラキンが年2回のダイエット(70kgを越える予感がするとダイエットして65kgまで落とす)する時にはまず絶食。胃を縮めることと、自制の修行になる。でも近頃忙しくて太れなくなったため、2年くらい絶食していない。「ヒトに言うなら自分がやってから」がポリシーのドラキンは昨日午前9時の食事を最後に絶食開始。現在約40時間経過。その間はコーヒーだけ。腹減ったなぁ。ところでダイエットしなければいけない本人は何してるかと思ったら昨日HPをオープンしたようだ。きっとダイエットはしてないだろう。とりあえず3日間絶食するが、何kgになるだろう? 正月の酒と餅を流し込んでも70kg越えなかったから、久々の60kg代前半を記録するか? 発表は次回のドラキン日記にて。


1月7日

2000年計画表明 /これぞ本領発揮さ!

 この日記をご覧の方の多くは、ドラキン&ドラモン&どらどら&青砥浩史の正体をご存知でしょう。サーキット&ドラテク専門誌「スピマイあ〜る」「レーシングテクニック」「レイテック12月号」(なぜか12月号だけ)の編集長(プロデューサー兼ディレクター)だったのですよ。つまりライフワークね。今は多誌多様(多種多様ともいう)な執筆・制作活動をしていて、それで生計立ててるわけ。車楽人アソシエーションやWarpやドライバー稼業では生計成り立たないですね。やっぱり。
 サーキット&ドラテク専門雑誌をあきらめてしまった訳ではないけど、雑誌を維持するには莫大な費用が必要で、スポンサー(広告出してくれる方)なしには出来ないこと。モータースポーツ業界と同じ状況でマニアックであればある程厳しいのが不景気の現実。でも長年積み上げてきた経験と知識とテクニックを生かす方法はたくさんあると考えている。そこで2000年計画さ。

その1
 レイテックウェブを大改革。「インターナショナルスピマイあ〜る」のイメージでサーキット&ドラテク専門サイトにしてしまう。今多くの出版物に分散している
知的所有物をこのサイトで今月中にひとまとめ。

その2
 長年続けてきたモータースポーツクラブ「Warp」を初心に戻して、ドラテク集団へと改変する。2月から毎月1回のペースでドラテク合宿(土日の1泊2日)を開催。ドラテク段位制度(武道や書道やスキー検定のイメージ)を創設。また走り込むためのクルマを所有しない方のためにLSD付FR車の教習車を準備。徹底的にやりまっせ。

というわけで、2000年は上記2本立てをライフワーク(生計ではなく、自分の存在目的だよ)として頑張ろうと思っているわけだ。
以下の2つのサイト

http //marcus.neuromagic.co.jp/ratech
http //promote.eyesup.co.jp/sharakujin

をひとつにまとめて、上記その1&その2を1本化

http //www.ratech.co.jp/

となる予定。それまでは現存の2つのサイトで情報チェックしてください。
皆さんの協力&入門を待ってるよ〜


1月2日

峠ランナーの頃 その3

 西仙台ハイランドレースウェイは暑かった。8月上旬の炎天下で気温は30度以上。2度目の遠征でコースにも慣れ、徐々にペースアップしていった。バックストレートエンドにあるシケインへの進入スピードが高過ぎてスピン。コース上にセブン(FC3S初期型)はストップしてしまった。当時のセブンはエンジンが温まっていると始動性が極端に悪かったので気をつけていたが、ついついエンストさせてしまった。セルをまわしてもエンジンはかからない。コースのド真中でストップしていたから、状況的にマズい。2分ほど頑張ってもエンジンは始動せず、あきらめてクルマを降りようとした時ボンネットから煙が上がる。「ヤバっ」と思った数秒後にボンネット内で爆発音。恐る恐るボンネットを開けると、いきなり火柱が上がったぁ〜! 最寄のコーナーポストまでダッシュして消火器を手に取ると、必死の消化活動開始。だが、いっこうに炎上は収まらず消防車まで出動。結局消火器ではダメで、Warpのメンバーが大きなポリバケツにくんで来た水をかけたら消えた。ボンネット内の高熱がブレーキフルードのタンクを溶かしてブレーキフルードがタービンで引火して爆発。次々と燃え広がっていった。消火器で消してもすぐに燃え出す。水でエンジン・タービンの熱をさましてようやく鎮火した次第。当時は理解できなかったが、当時のセブンはノーマルマフラーのままで真夏に走り続けると排気温度の上がり方が半端ではなかったようだ。幸いノーマルだったためにマツダの好意(当時サーキット走行時のトラブルについてはクレーム対象外だった)によりニューエンジンに交換してくれた。しかし納車までに要した期間は3ケ月。我慢できる訳もなく、お蔵入りしてたホンダ1300クーペが再び現役復活した。
 セブンは、2度目の納車後には慣らし運転をかなり長めに行なってから峠とサーキット走行に復帰。スピンした事が炎上のキッカケとなっただけに、今まで以上に気合を入れて練習に励んだ。ただしサーキットではエンジンに高負荷をかける連続走行は慎んだ。クーリング対策も施さず、マフラーもノーマルのままだったからだ。それまでは真夏であっても20ラップ連続走行くらいは当たり前だった。長くても連続全開走行は5ラップまで。実はその方法がドライビングの集中力を飛躍的に向上させた。連続走行では1ラップを大切に走ることよりも「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」に等しく、クルマやドライバーのコンディションを考える事などほとんどなかった。徐々にではあるが、サーキット1ラップの走行をとても大切に思うようになってきた。タイヤやエンジンがベストコンディションである1ラップに最高のドライビングをすることを考えるようになってきた。まさにレースの予選状態。誰にも教わることなく、サーキットスポーツ走行の中で当然の事のように身につけていった。そういった考え方は峠でも共通で、コースコンディションを考えて走るようになった。下見を慎重に長めに行なうようになり、場合によっては缶コーヒーを飲むだけで帰ってくることもあった。「やみくもに走る」ことから「考えて走る」ように変遷していった時期だった。






1月1日

Y2K

 新年あけましておめでとうございます。ドラキン・ドラモン・どらどら・青砥浩史(現在のところ4択)を本年もよろしくお願いします。
 2000年です。せっかくのミレニアムですから、いろいろやります。バリバリやります。さっそく明日書いてみましょう。


12月21日

ヒーローしのいサーキットに来い! /晴の予定 /暖かい予定 /ヒーローしのいサーキットに来い!!!!

 今週の土曜日はヒーローしのいサーキットで車楽人アソシエーションのイベントを開催する。開催目的は「しのい」のお披露目。ところが世間は年末(Y2K問題が尾を引く)とクリスマスで多忙らしい。よく考えてみると、今年最後の土曜日だから、多くの企業は出勤。現在集まった参加者は30名。スクール並の参加者数だ。
 お披露目ゆえに参加費は破格値、ランチサービスまでついている。この人数だと1日中走り放題でお釣りが来る。別に赤字でも構わないのだが、協力いただいた「しのい」に申しわけない。仕事のない人は走ろう。朝1番はクラッシュしないための危険回避講習&サーキット講習会。昼は本格朝鮮料理のランチ付き、あとは日が暮れるまで走りたい放題。待ってるよ。
(問い合わせ:車楽人アソシエーション03−5718−5777)





12月9日

昔ばなしシリーズ /峠ランナーの頃 その2

 ホンダ1300クーペで峠に行かなくなったドラモンは、なぜかビスタのオートマを買ってしまう。学生時に創業した現在の会社(ウェイクアップ)が忙しくなり、都内を走り回る機会が増えたためだ。その後1年間ドラモンは峠ランナーから六本木ファイターに変身してゆく。ビスタの次は当時の女子大生に絶大なる支持があったサーブ900ターボ、続いてはアウディ100CDへとナンパ路線まっしぐら。たまたまバイト先で運転したベンツ450で左ハンドルの虜になってしまったのだ。しかし本能には勝てず、昭和60年式のハチロクを手に入れた頃から峠ランナーへと更正? してゆく。
 手に入れたハチロクはシルバーのGTアぺッス。ショックがジムカーナ用に交換されていた以外はフルノーマル。それで再び峠の人生再開。奥多摩有料道路が夜間通行止めとなったために、ホームコースは箱根全体に。椿ラインはもちろん、1号線や長尾峠まで行動範囲は広がる。すでにオプションの仕事を通じてモータースポーツクラブWarpをスタートしていたため、峠通いは仲間と一緒になる。夕方になるとメンバーが事務所(当時は都営地下鉄浅草線の馬込駅前)にメンバーが集まりだし、宴会になるか、峠に向かうかの生活が続く。
 ハチロクで走り込むうちに、完全にFR車に目覚めてしまったため、ついに禁断の新車に手を出してしまう。初期型FC3SのRXー7である。たまたま会社が軌道にのり儲かってしまったためだ。当時のFCはネット185馬力だったが、リミッタ−カットすれば230キロは簡単に出せた。そのため今度はハイウェイに進出するようになり、遠路日光いろは坂にまで通い出す。Warpのメンバーも関東一円まで広がり、メンバー数も100名を超えた。当時のサーキットイベントは筑波と富士で開催していたが、行動範囲をニューオープンの西仙台ハイランドレースウェイ(現仙台ハイランド)まで広げる。当時のFCのタイムはBSのSタイヤ装着、ショックノーマル&ダウンスプリングで筑波12秒台、富士59秒台だった。
 オープン間も無い西仙台ハイランドレースウェイだったが、参加者集めの心配は全くなかった。クラブメンバー全員で仙台まで遠征したためである。Warpはクラブとして全盛を迎え、メンバーは仙台にまで広がっていった。2度目の仙台ハイランド遠征を行なった時の事である。とんでもない事が仙台ハイランドレースウェイで起こった。

その3につづく。


12月5日

筑波サーキット /はれ /12度 /パンダカップ耐久レース

 今日は久しぶりの参加者なのだ。しかしBMAのYさんからの指令により、しぶしぶとBMWカップのミーティングを行なう。
 さて本日はパンダカップの99ファイナルである90分耐久レースとBMWカップが開催された。ドラモンはあ〜るパンダで90分耐久に参戦。チームはトーチュ−。東京中日スポーツである。この新聞に不定期コラムを持つキャンギャルレーサー井原慶子を召集したためである。ドライバーは99年度あ〜るパンダ契約ドライバーの岡道太選手とドラモン、そして慶子である。当日柏のオートバックスでイベントの入っていた慶子は、ブッツケ本番の3番手ドライバーだった。万一オートバックスのキャンペーンが長引いた場合、我がチームはリタイヤとなってしまうために慶子は補欠ドライバーを送り込んできた。フリージャーナリストであり、モデルの吉田由美である。筑波サーキットもパンだも始めての彼女だが、実はセーフティードライビングの講師も務めており、ドライビングはバッチリなのである。
 案の定、慶子は間に合わなそうで、フリー走行を吉田由美慣熟走行タイムに割り振ってレーススタートに備える。我がチームの作戦は、先行逃げきり。スタートドライバーをドラモンが伝え、2番手岡道太にトップでつなぐ。そして3番手の吉田由美には最低周回数の12ラップを走ってもらう。パンダカップ耐久は3クラス混走のため、ハンデレースとなっている。今年のシリーズ戦におけるベストタイムによってタイムハンデが与えられ、我がチームは3分のピットストップが義務付け。加えてレーシングドライバーハンデがあり、ドラモン出走によりさらに1分のハンデが加算され、合計4分ピットストップしなければならない。キャンギャルレーサー慶子の場合レーシングドライバ−扱いなのだが、レディースハンデが逆に与えられることでプラスマイナスゼロ。
 しまった! 吉田由美出走により、本当はレディースハンデを1分もらえるハズだった。今頃気付いてもあとの祭り。
 全て予定どおりの運びでトップで岡道太選手にバトンタッチ。ドライバー交代時に義務付けとなる1分のピットストップのみでコースイン。ハンデ分の4分は岡から吉田への交代時に消化する予定なのだ。2番手岡選手も順調に安定した周回を重ねてトップをキープ。しかし、無情の黒旗(ピットインしなくてはならない)が、あ〜るパンダ トーチュ−splに振られる。ピットレ−ン速度違反&黄旗(追い越し禁止の旗)違反だという。万事休す。一気に順位は4番手まで転落。3番手吉田にドライバーチェンジする際に4分のタイムハンデを消化したために我がチームのゼッケン11番はボードから消えた。
 不馴れなクルマとコースながら吉田由美はがんばったのだが、残念ながら最終結果は19番手でチェッカー。たらればを言えば、ペナルティがなく、吉田由美のレディ−スハンデをもらえばトータルで、1分30秒のマージンがあり、トータル周回数が60ラップから62ラップ(トップ車両のすぐ後ろでチェッカーを受けたため2ラップ加算)となり、ベスト10入りの可能性があったので残念だね。
 とりあえず、あ〜るパンダは1分16秒台のベストラップを記録し、ハイポテンシャルを証明。エンジンオーバーホール後の来年は飛躍間違いなし。来年のドライバー募集はこれから。詳細は車楽人ホームページにアップされる予定なので要チェック。http //promote.eyesup.co.jp/sharakujin/ だよ。


12月2日

昔ばなし /晴れだった /不明 /峠ランナーの頃 その1

 ドラモン最初の峠マシンはホンダ1300クーペという車。シングルカムエンジンながら、4連装キャブ(CV4連キャブという)でグロス110馬力を発揮する俊足FF車。メーカーのデータでは、5名乗車でゼロヨン16秒9と表示されていた。1名乗車ならば15秒台は確実ということ。ただしシビック登場前のFF車だけに、本当の? FF車だったのである。すごいトルクステア&タックインの嵐。
 通っていたのは奥多摩有料道路と箱根つばきラインで、当時は一晩中走っていても数台の車にしか出会わなかった。ペースは3日に1度。残り1度は家庭教師のバイト、あと残り1日はスズキの750カタナというバリバリ伝説の秀吉(知らない人はごめん)と同じマシンで通っていた。つまり2輪と4輪で3日のうち2日は峠を走っていたということ。バイト代と親からの仕送り&授業料(学校に払わないでガソリン買っていた。良い子はマネしないでください)は全てガソリン代とタイヤ代に消えた。なぜか改造は一切しないで2台とも完全ノーマルのまま。とにかく走るばっかり。ホンダ1300はBSのSFなんとか、スズキカタナはDLのTT100というタイヤだった。カタナのタイヤはスポーツタイプだったけど、ホンダタイヤはカーショップで売ってる安売りタイヤ。とにかくよく滑ったから、スピードレベルはきわめて低く、ブレーキもノーマルだから下り2回目にはフェードした。それでもとにかく走りつづけた。
 どちたかと言えば2輪の方が得意だったが、ホンダ1300クーペ(以下クーペ)にはドラテクのこだわりがあり、遅いながらも色々な技を試していた。それでもクラッシュは1度もなし(カタナの転倒はたまにあった)。絶対にどちらのマシンも壊したくなかった。壊したら峠を走るのをやめるつもりだったから。
 クーペで身につけたのはタックイン。走り込むうちにステアリングをいくら素早く回してもフロントタイヤがグリップしないことに気づいた。ブレーキング直後か、アクセルオフの瞬間にフロントタイヤがグリップすることは理屈ではなく、体験で知った。ブレーキを残しながらコーナーに入ることを覚えた。のちに筑波サーキットをクーペで走る機会があり、この時にタックインは完全に開眼したのだ。
 米軍の横田基地で定期的にジムカーナが行なわれている事を知り、ビートルのチューニングカーに乗る友人と通うようになった。同じクラスで圧倒的に速かったのは、シビックRS。パワーではクーペが勝っているのに何をしても勝てない。ドラテクだけではダメなことをこの時知った。以来クーペでは峠に行かなくなった。
その2に続く。


11月23日

筑波サーキット /晴れ /不明 /今日は応援

ずっと以前から色々な方法でドライバー育成を行なってきた。
ここ数年は雑誌の仕事が多忙でプライベートチームの運営が難しくなる。
97年に雑誌でドライバー甲子園という企画を起こした。
98年にウィンズレーシングスクールと協力してドライバー養成所を興した。
一連の流れの中で現在修行を終えてレースデビューを果たしたドライバー達。
今日はそんなドライバー達の耐久レースの応援。
 1台はウィンズレーシングチームのMR2、もう1台はチーくみのEP71。どちらのドライバー達も長年サーキットでつき合ってきたメンバー。この2台以外のチームにも関わりのあったドライバー達はいる。
 ローカルタイトルのレースだが、そういったドライバー達がレース活動を続けてくれている事をとても嬉しく思う。レース活動ではステップアップが目的となることが多く、いつしかサーキットから姿を消してしまう。
 これからの自分の活動は、サーキットドライバー達が一過性でなく、何かしらの方法でサーキットスポーツを続けられる環境をつくりだすこと。最適の手段はクラブだろう。
 10数年来、warpというクラブを運営してきた。JAF加盟クラブだが、設立当初は雑誌「オプション」のバックボーンもあり、ライセンスホルダーよりも峠ランナー達を主体としたクラブだった。ピーク時には100名を超える大所帯で、自分がレース活動に力を入れてゆくにつれて活動の場がサーキット中心となっていった。今日の車楽人アソシエーションのルーツのようなもので、クラブメンバーだけでサーキット占有することも当たり前に行なっていたのである。
 現在のようにサーキット走行が身近でない頃でもサーキット走行会を頻繁に行なえたのは多くの仲間達に支えられてのことだったのである。
 結婚して走る事をやめてしまった者、峠に帰って行った者、自分を含めて本格的レースに邁進した者、いつしかwarpはライセンスを更新するだけの事務団体へと変貌していった。
 ミレニアムの2000年。新世紀のwarpを復帰させようと考えている。ともに活動してサーキットスポーツを続ける環境をつくるクラブ。
 今回の耐久レースでも三菱系、スバル系のクラブチームが1ー2フィニッシュを飾った。3位もクラブ系のウィンズレーシングチームだった。
 ドラモンの新たなクラブ活動に期待あれ。同志として力を貸してくれる方はポストにメール投げてください。

 ところでレースはどうなったかと言えば、チーくみは車楽人ホームページをhttp //promote.eyesup.co.jp/sharakujinを、MR2はレイテックホームページにアップされることでしょう。

 



11月20日

筑波サーキット /晴れ /18度 /ついに乱入

 スピマイあ〜るのドラキンからドラモン(バックナンバー参照)になって2週間が経過したのであ〜る?
 ニューズ出版のセブンマガジンのシモべとなったドラモンは千駄ヶ谷にある某走り系雑誌の編集部にいた。近頃編集長代行から正式に編集長となった○上氏と打ち合わせ。今まではスピマイあ〜る(レーテク/レイテック含む)の立場上出来なかった乱入を実現させるためだ。
 乱入は滞りなく根回しを済ませて実現。某アーピー誌の青○編集長も乱入することになっているらしい。ならばドラキンのままでも乱入可能だったということ?
 今回初めて参加する草レース(あ〜るカップ系を除く)なので、いかなるレベルのレースなのか興味津々で望んだ。しかもワンメイクのセブンクラスなのさぁ〜。楽しそうなのさぁ〜。セブン系ホームページの人々もたくさん参加していて和気あいあいなのさ。
 レース参戦とはいえ、しっかり取材のお仕事もこなすのでパドックでは忙しい。気が付くと、予選コースインが始まっている。暖気運転もしないままコースイン。フリー走行からブローバイが多めで気になっていたのだが、暖気なしでコースインするとマフラーから真っ白な煙りを巻き上げる。黒旗でるとヤバいので2ラップ暖気してからタイムアタック。狙ったアタック2ラップ目の第
1へヤピンで後方確認していないマシンとニヤミス。イン側のダート走行となるが、アタック中なのでアクセルは戻さない。この周のタイムで予選順位決定。とても納得いくものではないが、時間切れ。4秒後半のタイムで8番手止まり。職業ドライバーとしては惨敗だね。しかし不幸は続くのだぁ。
 決勝レーススタート!
 400馬力オーバーわんさか集団の中ではスタートダッシュも空しく、ポジションアップならず。ブローバイ吹き返しが1ラップ目から炸裂して、自慢のナイトスポーツエアロボンネットからオイル噴霧する始末。フルタービン集団撃沈のためにナイトスポーツコンピューターを装着し、ブースト1キロにセットしていたが、この有り様では回転数を抑えるしかない。
 2ラップ目からは仕方なく6千5百回転シフト。裏ストレートではモンスターFCに一気にかわされ、背後には5型ノーマルタービン車のS氏が迫る。立場上、同じノーマルタービン車には負けたくないが、仕方なくあきらめる。
 ラッキー!!!
 S氏のタイヤは540のGSコンパウンドらしい。ドラモンはSコンパウンド。徐々にS氏が離れ出す。
 終わってみれば8番手ゴールでスタート時のまま。モンスターマシンのWクン(彼は当日0秒台だったので所詮3秒台がベストの当方とは勝負にならない)がリタイヤしたから、9番手と同じこと。前5台とは僅差だったが、やっぱり悔しいね。我慢の甲斐あって自走で帰れたけど。
 でも正直思ったよ。絶好調でも前集団を抜けたかどうかは分らないって。レースのレベルは思った以上に高いよ。次回は仕事抜きでも参加したいね。ストレスたまったけど楽しいレースだった。


11月16日(火)

筑波サーキット /曇のち晴 /涼しかった /今日は走らないよ

 今日は今年最後の車楽人筑波イベント。本来なら参加者の皆さんと一緒にコースインして楽しむのだが、満員御礼だったので混雑防止のためイベント運営に徹した。朝のミーティングで「ヒーローしのいサーキット」のハナシをしたところ、意外にもニューサーキットの存在を知らない方が多かった。
 筑波以外のサーキットには興味無いと言うことだろうか? 関東では「筑波サーキット」と「日光サーキット」の人気は圧倒的。車楽人アソシエーションでは「筑波サーキット」のイベントが中心だが「日光サーキット」でのイベントを開催した場合でも多くのドライバー達が集まってくる。その理由は東京圏から近いためと思っていた。実際にはどうなのだろう? コースレイアウトがドライバー心をくすぐるから、エスケープゾーンが広いから、仲間とラップタイムを競いあっているから、いろいろな理由があるに違いない。だから個人的意見。
 いろいろなサーキットを走った方がよいと思う。身近に存在するサーキット
が限られているのなら仕方ないが「ヒーローしのいサーキット」のオープンによって、東京圏(100km圏内)には3つのサーキットが存在することになった。100km圏外ではあるが「那須モータースポーツランド」もある。ひとつのサーキットが速く走れるドライバーならば何処を走っても速いもの。同様にビギナーは何処のサーキットを走っても遅いもの。「ならば同じサーキットを走り込んでコースに慣れた方がよい」というのが一般的意見だろう。確かにそのとおり。しかしながら、ドライバーにとってもクルマにとっても得手・不得手があるもの。ドライバーでは好き嫌いやドライビングのリズム、クルマならばギヤ比、エンジンパワーなど。ビギナーが同じサーキットを走り続ければ徐々にコースレイアウトやマシンコントロールに慣れてくる。実はその頃が危ない時期だったりする。油断したり、無理したりで思わぬクラッシュに見舞われる。他のサーキットならクラッシュしない訳ではないが、慣れないサーキットならドライビングも慎重になるだろう。まして大きいのは、先程触れたドライバー、クルマ、コースのマッチング。サーキットが変わることで様々なことを体験し、様々なテクニックの存在を知り、クルマとコースのマッチングに気付き、様々なリスクを味わう。そのひとつひとつが貴重なサーキットライフ、大切なドライビングプレジャーだ。
 いずれにせよ、もっとも大切なのはクラッシュしない事。コースに慣れても基本が出来ていなければクラッシュのリスクが伴う。長く楽しく、壊さず走り続けるために基本テクニックにこだわって欲しい。コースを攻め込んで始めてリスキー体験する事は多い。とばさなければクラッシュしないとか、無理しなければ大丈夫などと、簡単に言ってしまう方がいるが、とばすから楽しく、公道では体験できない無理が出来るのがサーキット。だから基本を学ぶことは非常に大切なのである。
 いろいろなサーキットに出かければ色々な主催者がおり、色々な参加者がおり、色々な体験が出来る。ひとつのサーキットにこだわるのは、それからでも遅くないと思うのであ〜る。


なんと11月13日

ヒーローしのいサーキット /晴れ /18度 /ニューサーキットをドラモン?チェック

 なんと今日は11月13日なのですね。今までドラキンは何してたのでしょう。そういえばレイテック12月号はいきなり編集長にカムバックしてたりするのですね。今回のヒーローしのいサーキットの模様は「RX−7マガジン」に掲載されるのですよ。それってどういうこと? つまりぃ〜、ドラキンはマインド・出版の専属ではなくなったのですね。ではニックネームはどうしよう? ドラキンだと「スピマイあ〜る」のイメージ強いしね。では発表しま〜す! ドラモン

「ドラえもん」の「エ」を取っただけだって? 違うって。ドライビングモンキー・・・では猿? 違うって。ドライビングモンスター? それってポケモンみたい。では正式発表。
「ドライビング悶絶・絶叫・叫速・速技師」を略して「ドラモン」なのさ。はっはっはっ・・・まいったか。よ〜く見てね。漢字尻取りになっているのさ。「ドライビングモンゼツゼッキョウキョウソクハヤワザシ」と読みます。以後お見知りおきを。ではそろそろサーキット日記に移ろうか。

 ドラモン主宰の「車楽人アソシエーション」では12月25日のクリスマスにニューサーキット「ヒーローしのいサーキット」でニューサーキットお披露目&味見イベントを企画した。ところがどうしたことか。「あそこのサーキットは危険だ。すでに2人死亡事故を起こした」などという恐ろしいウワサが流れてきた。コースレイアウトと写真をじっくり見ると、確かに危険個所があるように思える。そこでドラモンは思い立った。「味見すっかぁ〜」でも走るだけではつまらない。マジカヨ田中を連れ出し、2台のRX−7でヒーローしのいサーキットに向かった。バッチリと取材しながら真実を探ろうという魂胆。この模様は来年1月末発売のニューズ出版発行「RX−7マガジン」に詳しく掲載するのでナイショ。結論では、2人死んだウワサは全くのデマ。危ない個所があったのは事実だし、エスケープゾーンが狭いのは事実だけど、これから徐々に改修されて安全対策は強化されてゆくらしいし、自分的には特別危険なサーキットだとは思わなかった。それにも増して、都心から近い(日光サーキットから10分くらい)サーキットで、きれいで広い敷地に充実設備というポイントは高かったな。そこでまたしてもドラモンは考えた。
 12月は当然年末だし、忘年会シーズン。ではではミーティング形式のイベントやろ〜っと。12月11日の東京ベイサイドは「ドリフト中心のスクール」だから、ヒーローしのいサーキットでは忘年会兼ね〜の、危険回避講習兼ね〜の、ドラモンお披露目兼ね〜のイベントやることに決定。費用も無茶苦茶安いし、ご馳走付(クリスマスプレゼントだね)だから最高さ。車楽人のサイトをチェックしてみてね。申し込み待ってるよ。

http //promote.eyesup.co.jp/sharakujin/



 





9月29日

鈴鹿サーキット /晴れ /気温・路面とも不明 /急に涼しくなりましたね

 早いもので、12月号の取材もピークを迎えています。レイテックは隔月発売だけど、CDロムビデオの締切が早いために、実際には月刊誌並のスケジュールを余儀なくされてしまいます。昨日から連続のオープンカー企画の取材。今回の企画には水着美人が登場するからお楽しみに。

 さて、今まさにその時の原稿書いているのですが、近頃ドラキン日記が月記になったのでは? と皮肉の声にお応えしてこうして久々に日記書いてるワケです。日記の日付は9月でも実際今日は10月中旬なので、ややギャップありですが、涼しくなりましたね。9月29日の鈴鹿はまだまだ暑く、WESTさんのコルベット用ニュータイプショックのテストとS2000取材を兼務していたため、結構ハードでした。S2000はビデオ見ていただくと分かりますが、リミッターあたってしまうし、ノーマルタイヤのスピード域なので、のんびりドライブという感じですが、WESTコルベットに乗り換えるとエラいGAPなのですよ。コルベットは水冷オイルクーラーのテストと同時だったため、全開走行ではないですが、2分20秒台のペースですから、S2000とは大差があります。仕事ですから無難にこなすのはもちろんですが、目が慣れなくて苦労します。多くの方は、クルマに慣れなくて大変とお思いでしょうが、職業ドライバーにとっては数周いただければ問題ありません。ただしリスクを冒してもタイムを出さなければいけない場合を除き、常に90%までの走りです。スクールなどで同乗走行された方が「たいしたことない」とか平気で言いますが、それが知る者と知らぬ者の差です。早いクルマ、遅いクルマ、出来たクルマ、不出来なクルマなど、様々な車種を様々なサーキットで乗ることで色々なことが分かるようになるものです。もちろん下積みで入門レース経験してきたうえでの話です。今日はこのくらいで。また頑張って書きますので、チェックしてください。



9月23日

筑波サーキット /晴れ /不明 /ユーロカップ

 ユーロカップは4団体によって共催されているため、そのうちの1団体である車楽人アソシエーションを主宰するドラキンは筑波サーキットへと向かったのである。午前9時半から受付、11時からミーティング、フリー走行開始は12時から。受付時間の間に、ガレージから今日パンダカップに岡道太がドライブする予定のあ〜るパンダを引っ張り出してエンジン始動チェック。日ごろのメインテンスはEPE酒井メカにお願いしており調子は上々。車両待機場所にパンダを運び終わってから、筑波サ−キットのコース管理室でイベント運営の打ち合わせ。その後教室に向かって、BMWカップとGOLFカップのドライバーズミーティングを行なう。12時からパンダがコースインしたあと、特殊なコースイン形式のBMWクラスのフリー走行コースインの進行を担当して、以後コントロールタワーへ。今回は試乗取材のスケジュールがないので、コントロールタワーでBMWとGOLFのスタート進行を担当した。試乗取材が入っている時はラテンコ西川にお願いしている役務である。
 
 はじめてドラキンがサーキットイベントを開催したのは昭和60年の富士スピードウェイ。学生時代の趣味が嵩じてイベントプロモーター業を営んでいたドラキンがはじめてサーキットに進出した年のことである。それから14年間積み上げてきたサーキットイベントでの様々なノウハウ、サーキットドライビング・レース経験が今日の車楽人アソシエーションの業務を支えているのであ〜る。


9月15日敬老の日

ネットサーキット /台風接近 /まだまだ暑い

 今日は休日なのに珍しくサーキット出張なし。メールで12月号の打ち合わせしてたりする。ところで前回ちょっと話しに出た、かくれネットキャラは実は3人いたのだ。9月7日に出会ったのは2人だけど、ネットサーフィンで偶然であったのは3名、つまり3ページ。

へなちょこドライバーの館
http //www.asahi-net.or.jp/~ct2y-ari/index.html

平川のホームページ
http //www.kddtech.co.jp/~hirakawa

なかだホームページ
http //www.inv.co.jp/~nakada

以上3名様。みんな車楽人メンバーで、かくれネットキャラだったのさ。
実はドラキンが気づかなかっただけなのだが。
これみてる皆も覗いてみて。おもしろかったよ。
近日中には3ページともリンク貼らせていただく予定なので、
そしたら頻繁にチェックできるよね。

さてさて、ここからはドラキン流サーキットばなし。
むかしむかし、とはいっても13年前の昔、
ノーマルマフラーマフラーのままで、ノーマルショックのままで、
スプリングだけ交換したFC3SにRE61というSタイヤをつけてる
腕自慢ドライバーがいたとさ。
ある日、そのドライバーはオープン間もない仙台ハイランドレースウェイ
(当時は西仙台ハイランドレースウェイ)まで仲間と遠征したそうな。
ジムカーナでスピンターンや八の字ターンを練習し、
日々峠でハイスピードコーナリングに挑んでいたドライバーは
ドリキンのハイランドビデオ見て張り切って仙台まで出かけた。
ところが仙台は大雨。でもそのドライバーはRE61しか持ってない。
このまま走らずに帰ることはできない。
RE61はたて溝2本だけの浅溝で、ウェットでは全く使い物にならない。
でも走った。遅いのはプライドが許さない。
怖かったけど頑張って攻めた。
気合の最終コーナーは3速で進入。すべった。やばい。
目の前をガードレ−ルが横切る。あれれ、横向いたまま走ってる。
これってドリキンの世界じゃん。
この偶然の世界がのちにこのドライバーに
ドラキンと名乗らせることになるとは誰が想像しただろう。
ドラキンはドリキンに迫る勢いでドリフトする。
でも最初は偶然の出来事だった。偶然の雨、
たまたまやってたジムカーナ、たまたま履いてたRE61。
今日この経験はドラテクスクールの中で生きている。
つづく。










9月7日

筑波サーキット /曇時々晴一時雨 /チェック忘れた /楽しいね! やっぱりスポーツだよ

 車楽人アソシエーションの定期的筑波サーキットイベント。毎回たくさんの方にお越しいただいて感謝かんしゃカンシャです。これを読んでいただいてる皆さんで参加いただいてる方、いつもありがとうございます。
また、まだ参加した事のない方、是非ドラキンの正体を確かめに来てください。業界では間違いなく独走の長時間ドラミ毎回行なっているのが私ドラキンでございます。

 この日は他のドライバー(大井・山野・武井)さん達にテスト依頼(10月発売のあ〜るシリーズです)していたために、ドラミのあとは珍しく自由な時間がたくさんありました。そこで久しぶりに我があ〜るセブンで走って遊ぼうと考えたドラキンはパドックで黙々とブレーキパッド交換をはじめたワケです。そうすると珍しいドラキンの行動見て、皆色々と声かけてくれたりするのです。日ごろは講師とお客さん、先生と生徒の関係だったりする人々と仲間として会話できる貴重な時間です。これがまた新鮮でとても楽しかったりするわけです。やっぱりこの雰囲気が大切なのですね。サーキットイベントは。
 同じ趣味、同じクルマに乗った人たちが集まってくる。そして思いっきり走る。楽しいに決まってますね。

 昨日のイベント参加者の中にWebマスターが2人もいたのですよ。ぜひ皆さん、サーキットをキーワードにネットサーフィンしてみましょう。ドラキンも偶然出会ったサイトだったのだけど、まさかマスターがこんなに身近な人だったとは・・・・・近くRatechWebにリンクされて登場するハズ。
皆さんもサーキットやクルマの楽しいサイトのマスターだったりするかもしれない。Ratechはそんな身近で楽しい媒体だから、気軽にリンクしてください。心から歓迎しますよ。

ところで肝心なイベントのはなし。今回は「クラッシュしないで」というテーマでミーティングやったからか、ドラテク名人が多かったためか、クラッシュ車はなし。とても気持ちよくイベント終了したのでした。あ〜るセブンは仙台でブレーキとタイヤのライフが終わってしまったために4秒後半くらいで限界だった。でも仕事抜きで走るのは楽しいよね。インプレしたり、セッティングしたりだと、神経疲れる。ドライバー養成所の門下生が毎回走りに来るので同乗走行したりしながら有効で楽しい1日なのでありました。次回の車楽人イベントは10月12日(火)と23日(土)のあ〜るカップ。皆さんとお会いできるのを楽しみにしてます。

イベントの問い合わせ先は
03ー5718ー5777 車楽人アソシエーションです。



9月5日

仙台ハイランドレースウェイ /晴れ /気温30度・路面41度 /あ〜るカップ仙台シリーズ第3戦

 あ〜るカップはレース形式のRクラスとタイムアタックのSクラスの2カテゴリー。仙台シリーズの場合はSクラスにビギナー&レディースクラスの枠を設けており、事実上は3クラス(R・S・B)での開催となっている。
 今回のエントリー数は、Rクラス30台、Sクラス40台、Bクラス30台でジャスト100台。主催者賞はRクラスのみで、排気量によりクラスを上下に分けて各6位までに賞品が授与される。さらに各クラス共通のあ〜るカップRatech賞がある。これがあ〜るカップの特徴であり、ミソ。ちなみに筑波シリーズの場合は主催者賞はなく、全てあ〜るカップRatech賞。この点は来年以降、仙台・筑波の両シリーズ共通となる予定だ。
 あ〜るカップRatech賞のクラス分けは、全て簡単な自己申告によるもの。あ〜るカップは手軽に楽しむ入門モータースポーツなので、面倒なことはしない。参加車両で仕様申告するのは車両重両、馬力、タイヤの3つ。あと、ドライバーについては開催サーキットの自己ベストタイム(初参加の方は「なし」と申告)を書いてもらうだけ。以上4つのデータをパソコンに打ち込むと
自動的にパワーウェイトレシオが計算される。単純に車重/馬力の計算をするだけでなく、装着タイヤ・駆動方式・自己ベストタイムで数字が修正されるのだぁ〜。これを修正パワーウェイトレシオと呼ぼう。たとえばRクラスの30台の自己申告内容をパソコンに打ち込むと全員の修正パワーウェイトレシオが自動計算されて1〜30位までランクされる。その結果1〜10位までをR1クラス、11〜20位までをR2クラス、21〜30位までをR3クラスとしてクラス分け終了。プログラムbyドラキンなのさぁ〜。
 昨日のあ〜るカップRatech賞は小さいカップ。同じくらいの価格で割と大きなトロフィー買えるけど、あ〜るカップだからカップにこだわる。最初は小さなカップで、参加台数増えたり、スポンサー付いたりしたら大きなものにする。オイルとかケミカル、Tシャツなんかも実用的で喜ばれるけど、やはりカップは記念に残る宝物。今年の筑波シリーズはユーロカップに組み込まれているため、共通賞典のトロフィーを贈っているのだけど、来年のシリーズは再びカップに戻すつもり。

 あ〜るカップ方式によるクラス分けを行なうと、最速クラスの顔ぶれは変わらないのだが、中段以降ではノーマルで速いクルマや小排気量で速いクルマ、それにサーキットビギナー、レディスドライバーなどが入り乱れて車種を問わないバトルが展開され、色々なドライバーに入賞のチャンスが生まれる。やはり自分の好きなクルマで楽しめるのがいちばん。勝てるクルマとそうでないクルマがハッキリ分かれているのがサーキットの実状のため、あ〜るカップ方式によるイベントは大切にしていきたい。またタイプ的にレースがダメなドライバーも多いと思うので、Sクラスも同じ方法でクラス分けをしてカップを争ってもらう。色々と手間はかかるが、こういった活動を続けることがモータースポーツ文化を発展させる大切な活動と認識している。スピマイあ〜るシリーズの出版活動も全く同じ目的なのであ〜る。


8月30日

某サーキット /サーキットが本当に好きな人だけ読んでください

 この地にサーキットが出来るかもしれない。すでに多くのサーキットが存在し、今頃サーキットを建設するなどバカげている。そもそもサーキットの存在理由は何なのか。

 はじめてサーキットを作りたいと考えたのは14年前のこと。「自分達の仲間で、同じ価値観を持った同志で、誰に遠慮する必要もなく、いつでも好きな時に走りたい、走らせてあげたい」それだけの考えだった。たくさんの人を集め、多くの夢を語り続けた。サーキットオーナーになるには資産が必要と考えて不動産を買いあさり、借金を重ねていった。そして訪れたバブル崩壊。たとえば1億で建設した工場の借金は8千万円。3千万円でも買い手がつかない。たとえば4千5百万円で購入したマンション。ローンの残債務は利息を含めて5千万円。購入する時には不動産業者に「1年後には6千万円で売れますよ」と言われた。同じ不動産業者に売却依頼したら「3千万円なら買い取ります」と平気で言う。2千万円で新築した社宅。住み込んだ社員は半年でクルマ持ち逃げして離職。賃貸物件で出してみたら、月額7万円が相場、残ったローンは月々14万円。持ち逃げされたクルマのローンは月々4万円。まだまだあるが、書く気がしない。購入時の時価における資産総額では、この某サーキットを買い取り、運営してゆくことが出来るだけの資金額だった。しかしサーキット建設計画はバブルとともに崩壊していった。

 今は自分でサーキットオーナーにならなくとも、仕事で日本中のサーキットを走り回る。走る目的は雑誌を作るため、レースで勝つため、速いクルマに仕上げるため、自分が培ってきた技術を生徒に見せるため。では再びサーキットの存在理由は何なのか?

 真偽は定かではない。事業目的も明確でないし、はっきりとした目的が分からない。でもこの地にサーキットを作るというのだ。自分には「力を貸して差し上げましょう」とも「やめた方がいですよ」とも言えない。でも再びこの地を訪れてしまった。そしてまた某サーキットを見ている。

 自分の能力は、クルマを速く走らせる技術、正確にドライビングを教えられる指導力、雑誌を作るノウハウや広告全般で学んだメディア感覚、イベントを企画・運営する経験と実行力、そして集客力・・・
 サーキットを運営するために必要なものはこの14年間で全て身につけて来た。それを可能にしたのは、常に「その思い」を持ち続けてきたからに他ならない。サーキットの存在理由は不明でも、資金力がなくても変わらない。強い思い。実現すれば最強のサーキットが完成するだろう。

 また近いうちにこの地を訪れる。新しいサーキット創りはカウントダウンされている。今もそしてこれからもカウントダウンは続いてゆく。






8月22日

MSSPサーキット /ドピ〜カン /沸騰寸前 /体が一部溶けて体重2kg減った

 MSSPサーキットはコースジムカーナが開催される事では有名なのだが、走行会関係者には馴染みが薄いようだ。実はオープンした時からドラキンはスクール開催サーキットとして目を付け、以後毎年ドライビングスクールを開催してきた。MSSPの最大の武器は擂り鉢状でコース全景が見回せる点とクルマに無傷でコースアウトできるコースレイアウトが可能な点。それとドリフトコースとして手頃なコース幅&レイアウトだね。スクールはここMSSPと東京ベイサイドスポーツの2カ所で定期開催しているが、今年から参加者を20名までに絞り込むことにしている。参加費用を低く抑える目的で30名以上を募集していた昨年までは参加ドライバーとのコミュニケーションが薄くなってしまっていたためだ。20名でのコース&講師専有となれば参加費は割高となてしまうが、充実した練習時間と的確なアドバイスは25000円には代えられない価値があると思う。一般的なドライビングスクールと比べれば決して高くないし、一度来てもらえばスクールの存在価値分かってもらえるよ。セーフティドライビングスクールではなく、ドライビングテクニックスクールだからね。今回のスクールのポイントは

1 ブレーキングテクニックを徹底的に修得させる
2 参加者全員の助手席に乗って、じかにドライビングチェックを行なう

この2点を徹底した。そして発見したことは、ブレーキングテクニックの未熟さがクラッシュを誘発する最大の原因であることだ。以前ミューサーキットで助手席に同乗した際にドライバーがガードレールに激突し、それ以来ムチウチの直らないドラキンは助手席指導を避けてきた。でもやはりドライビングを直接チェックすることは貴重で、これなくして的確なテクニックを伝授することは不可能に近いことを改めて実感。サーキット走行10回以上の人々をもってしても、きちんとシタブレーキングテクニックを持ち合わせていたのは1名だけだたのである。サーキットを長く楽しむためには絶対クラッシュしないこと。そのためにドラキンは命張って助手席同乗再開を決意。危険回避テクニックを伝授することを徹底しようと思っている。今年は10月と12月の2回東京ベイサイドスポーツでのスクール開催を予定しているが、スクールの能率を上げるために車種ワンメイクでのスクールを希望している。現在決定分のワンメイク化は不可能なので、レイテックのサイトで各クラブ代表者にワンメイクスクールの開催を呼びかけたい。走行会に比べれば手間もかかり、利益率も低いスクールだが、絶対に必要なことである。

今日ようやく10月号の原稿を書き終えた。マメにこのページ更新しますのでファンの皆さんチェック入れてください。



8月18日

Ratech10月号CDロム締切日のためオフィス /はれ /暑い(今日は誤字でない) /急いで書いてるから誤字多いな

待ちに待った完成日だよ。発売日は9月9日だけど、すぐにでも見せてあげたい。
レイテックの締切日は、CDロムが偶数月の中旬で雑誌本体が下旬となっている。「へんちょ」と「ドラキン」は、出来上がったCDロムを隅から隅までチェックして、PCに誤作動は起きないか、不適格な表現はないか、画像不良がないか、表記ミスはないかなどをチェックする。つまり制作担当者の次に作品を見ることになるのさ。校正後の細かい修正作業が終わって、完成品(CD−R)が戻ってくるのが18日だったのだ。
 今回で3作目となるけど、当然ながら回を重ねるごとに熟成度は上がり、申し分のない仕上がり。今回は12車種対決ロケだったのでバラエティの豊かさや対決への興味などで話題の尽きない入魂作品。
 でも少々気になることもある。レイテック読者の中にはPCが手元になくて、本だけで我慢いただいてる方もたくさんいるらしい。レイテックはCDロムが見れて2000円の価値(税込なので、実はカービデオマガジンの1980円より割安)があるのだが、本だけではさすがに申し訳ない価格だ。なんとか名案はないかとサーキット以外でも日々思案のドラキンである。



8月3日

筑波サーキット /晴 /気温32度/路面48度 /10月号のテスト最終日は筑波

29日の那須からようやく4日間のインターバルをもらって、最後のテストデーを迎えた。

筑波サーキットのメニュー
1 ポルシェ996カレラ
2 スカイラインGT−R(BNR34)
3 アンフィニRX−7(最新5型FD)
4 ホンダNSX

筑波のコースに合わせたマシンチョイスだね。今日の4台のロケを終われば12台対決が全て終了なのだ。しかし今日も熱い。昨日の那須といい、今日の筑波といい、夏は熱いのね。1日を有効に使えた那須に対し、今日は車楽人イベントの開催される3時間を利用してのロケだから、スケジュールはハードきびしい。上記4台のタイムアタックと、対決シーンの撮影。2時間半の間に4台を次から次へとノンストップで乗り換えてゆく。時間が限られるから、失敗は許されない。短時間でそれぞれのクルマのポテンシャルを引き出し、かつ的確なインプレッションを行わなければならない。気を使うのは以下の点。

1 空冷エンジンの993とのエンジンフィーリングの違いを明確にする
2 32、33との比較、2WD→4WDポイントの味付けチェック
3 美祢サーキットでテストしたタイプRSと今回のタイプSの特性チェック
4 エンジンパワーをカバーする絶妙なサスセッティングを引き出す

あとは全部のテストを通して、ドライビングミスをしない、短時間にクルマの個性と限界を引き出す点がドライバーとして厳しいところ。当たり前の事だけど、12車種・3サーキットとなれば簡単なことではない。このあたりが、ドライバーとして飯食っていけるかどうかのポイントだな。今回は久しぶりに頑張ったよ。10月号の完成楽しみにしてて下さい。


7月29日

那須モータースポーツランド /思いきり晴 /激熱 /昨日は鈴鹿に居たのに、スタッフ全員那須にいる事実はどういうこと・・・・・・

昨日の鈴鹿に続いては那須だ。今日のテスト車は一気に6台。那須モータースポーツランドのご好意によって、強行スケジュールが可能となった。でもねぇ〜
次から次へと乗り換えてタイムアタックし、しかもインプレしてゆかないといけないのだぁ!
今日の激熱はこたえるぜ。

本日のメニュー
1 プジョー206のS16
2 アルファロメオ156V6
3 BMWーm3
4 ホンダS2000
5 アルファロメオ155ツインスパーク
6 ランチアデルタevo2

6台を計2回ずつ乗るのであ〜る

今回の企画はRatech自慢のCD−ROMビデオと本の特集がリンクするスペシャルバージョン。これは断言できるぞ! 絶対某ビデオマガジンには勝ってるよ。すげぇ〜オモシロイはずだよ。発売は9月9日の予定。タレントドライバー本人が完成が楽しみで仕方ない。8月3日のテスト終われば本格編集開始ぃ〜! ムチャクチャ楽しみさぁ




7月28日

鈴鹿サーキット /曇時々雨 /27度/路面39度 /対決テスト初日の天気危うし! しかしそれだけではなかった!!

Ratech10月号の特集取材初日。今回の取材は12車種のサーキット対決、ただし速さが全ての対決ではなく、ムードやセッティングの可能性、価格までも加味したもの。初日のメニューはF355とコルベット。355はチャレンジ仕様ではなく、ストリートユースの355をチャレンジを見本にセットアップしている仕様。コルベットは5月にTIサーキットでストリートカーSタイヤ最速をマークしたWESTコルベットである。かなり拮抗した対決となりそうな気配。
実はドラキンは両車のセッティングメニューをこなす立場でもある。F355については日本にF355が初上陸した頃に、プライベートチーム(太田選手はコーンズワークスでほぼ同時期)の355を専属でセッティングしていた経緯があり、ちょっと思い入れがある。対するコルベットはGT選手権にコルベベットでの参戦をもくろむWESTのプライベートテストを担当させていただいている。
 今回の対決に当たっては、雑誌にはありがちな強行スケジュールながら、両者ともに鈴鹿仕様のサスペンションを新装着してきた。思い入れの強さがプレッシャーだが、全力を尽くすしかない。どちらもニュータイプサスペンションシェイクダウンでセットアップ前提のテストとなるため、通常よりもフリー走行時間を多めに取ったが、雨による不安定な路面状況に加え、両者ともにフリー走行段階でトラブルに見舞われる。フェラーリはパワステ、コルベットは燃料ポンプ。どちらも夏に起こりがちなトラブル。トラブルに対処しながら、かつセットアップをしながらのテストを兼ねた対決取材は予想を遥かに上回るハードさで、絶対的な時間不足になってしまった。どちらもタイムアタックを行える状態まで持ち込めなかった。タイムはあくまでのチェック走行時のもので、両者の実力とはかけはなれたものとなった。詳しくは誌面を参考にしてもらいたいけど、改めてTIサーキットにマシンを持ち込みテスト&再対決を試みる約束をしてテスト終了。ちょっと残念な結果だった。

コルベットは圧倒的な低中速トルクと扱い易いFRが武器、フェラーリ355は高回転での伸びとミッドシップレイアウトによるトラクションと旋回性能が武器。鈴鹿サーキットでは東コースはフェラーリ優位、西コースではコルベット優位と出た。好き嫌いがハッキリ出そうな両者だが、スポーツカーとしての魅力が満点であ〜る。



7月24日

筑波サーキット /晴 /気温32度/路面47度 /オフィシャル兼任で走ることもある

今日はユーロカップの日。通常ならば、ドラミやってからコントロールタワーに登って1日が終わる日。ところがなぜかゴルフカップに出てしまうこともある。ゴルフカップに参加が許されているのはゴルフ3まで。でもでもゴルフ4で出場してしまうワガママなドラキン。ゴルフ4にはタービンが標準装備されているのだぁ〜。ドラミでは抗議噴出するも、実は100%ストリートクルージング仕様で、当然賞典除外でエントラントのお許しを乞う。ザックスサスペンションで軽快なサスペンション特性を持つゴルフ4は、気持ちよく筑波を走れ、タイムも1分15秒台までは出るのだが、ゴルフカップ参加車両は皆速いのであ〜る。ターボ付いてるのみな〜ぜ? という勢いのスピード差をバックストレートで味わった。でもゴルフ4は気持ちよいのだ。コーナーでは超重量
級ボディの恩恵でアンダーステアがすごいし、立ち上がりでは加速してくれない。当たり前なのだが、そのままハイウェイクルーザーのゴルフでも気持ちよくサーキットを走れるのも新たな発見。でも一応意地があるので、決勝レースではブレーキとタイヤいじめて10位ゴール。勝ち負け関係なく楽しく走れるのはやはり「なんちゃってモータスポーツ」ゴルフカップの人々はややヒートぎみで、コンペティションモードに入り過ぎてるようなので、ほのぼのムードも大切にしたらイイかなぁ〜。
 いずれにしても現状ターボ装着のゴルフ4でも勝負外であることはハッキリし、規制対象外にしても問題なしと考える。来年のゴルフカップにゴルフ4の出場は認められるか? はレイテック10月号のゴルフ4インプレ読んでください。協力いただいたハンズトレーディングさん、ありがとう御座いました。ゴルフカップとても気軽に楽しめました。


7月20日

オートポリス /晴時々雨 /たぶん30度以上 /走らなくてもサーキットには出かける

今日のドラキンはなんとカメラマン。全自動カメラ片手にオートポリスのコース脇をうろうろ。黄色い服来てたから、イエローフラッグに間違われるからコーナーポストに近寄るな! と怒られ、急な雨で黄色い傘さすと、これまた「黄色い傘は禁止!」と怒られ、にわかカメラマンのドラキンは怒られてばかりの1日であった。取材イベントは「九州くるまにあんフェスティバル」CDロムの車載映像(今回はドラキンドライビングではないが)もあるので九州在住の皆さんはお楽しみに。


7月18日

美祢サーキット /曇り /28度くらい /久しぶりの美祢だなぁ〜

 今日は8月5日。今回のハナシは7月18日の件。このタイムラグを埋めるためには連日「DORAKIN」ページの更新を行なうことだろう。世間がお盆となり、出張が減る今こそがチャンスなのである。さてさて「お盆はインターネットサーファーになろう」と考えている皆さんはこの時期こそ、ドラキンページを覗く旬なのです。言い訳はこのくらいにして、本題。
 美祢サーキットに出かけたのは昨年のN1スーパー耐久レース第1戦以来のこと。近頃は「なんちゃってGTドライバー」となっているドラキンだが、この頃はまだレーサーしていたのであ〜る。しかも昨年の美祢は3位表彰台だった。あ〜なつかしのシャンパンファイト・・・・
 今回の美祢サーキットは「リード・フィナレーシングジャパン」のイベントに最新型RX−7のRS(マツダ広報車)で乗り込んだ。このイベントには(株)マツダアンフィニ山口、ラムズオートモーティブ(広島のブレーキパッドメーカー)などが参加しており、マツダ車の参加が多いのが特徴。特別ゲストにもマツダワークスドライバーとしてお馴染みの従野孝司選手が招かれていた。ただしマツダ車のためのイベントではなく、誰でもどんな車種でも参加出来ることが特徴なのでセブンでなくてOKのオススメイベントだったので念のため。今年の開催日は8月29日(日)、9月26日(日)、10月24日(日)、11月21日(日)の4回で、全て日曜開催なのがうれしいね。問い合わせはTEL0839−32−5111まで。
 ところで今回の驚きは新型セブンの潜在能力。フルノーマル(タイヤ・ホイールまで含めた完全ノーマル)のままでも1分47秒台を安定してマークしてしまう。現行型セブンは5型(FD3Sは2回マイナーチェンジしており、初期型を3型、第1回マイナーチェンジ後を4型と呼ぶ)なのだけど、エンジンパワーが280馬力となって、高回転の伸びが素晴らしくなったこと、クーリング性能が大幅に引き上げられたことの貢献度がかなり大きそう。3型では高回転での伸びの悪さが気になり、4型では夏場のサーキットテストは2ラップでオーバーヒートしてしまったものが、快適高回転&連続走行OKになってしまったのだから大変身には驚くばかり。
 またラムズオートモーティブのニュータイプブレーキパッドの開発テストも行なってきたので詳しくは9月発売予定のRatech10月号にて。




6月29日

筑波サーキット /晴れ /気温不明・路面43度 /梅雨なのに車楽人はしっかりドライだよ〜

長らくお待たせしましたぁ〜。Webのリニューアルのため、暫くお休みしてたとさ。実はさぼっていたとも言う。さて今回は9月29日に筑波サーキットで開催された車楽人イベントのハナシ。車楽人のイベントにおけるドラキンの仕事はドライバーズミーティング。年間20回以上開催される車楽人イベントのドライバーズミーティングは全てドラキン担当。それ以外にも色々なイベントでドラミやったり、インストラクターやったりするからサーキット行く機会は当然多いわけさ。でも今年はまだレース(全日本クラスのイベント)出てないのだ。Ratechに連載している「ドラキン講座」を読んでくれてる方なら知っての通り、現在のドラキンは浪人状態。世間的には逆虎の介状態とかミカサロ状態ともいう。
 今回は筑波のハナシだったな。この日は珍しくクルマのテストスケジュール組んでなかったから、自分の「あ〜るナナくん」で久しぶりに走ってみた。ただ走るだけではつまらないのでバブリン三島のポルシェRSクラブスポーツ(Ratech8月号p37仙台とp38鈴鹿に登場するポルシェ)を追い回すことにした。バブリン三島は、Ratechも含む「スピマイあ〜るシリーズ」でバックアップしている「ドライバー養成所」所属ドライバーで、ドラキンとは師弟関係にある。1年近く前に同じポルシェを追い回した頃との比較を試みた。バブリン三島は腕前上げたよぉ〜。今日はとても満足だった。バブリン三島4秒後半、ナナくん4秒中盤といったところ。今日の路面コンディションとクリアラップ全くなしの条件では充分に速いね。ナナくんもバブリンポルシェもベストタイムの1秒落ちくらい。
 でも気になったクラッシュがまた1件。ビギナーのシビックくんがFCセブンくんとクラッシュ。どちらも廃車の道をたどりそうなムード。やはりクラッシュは絶対回避しなくちゃ。クラッシュ回避するのは80%腕前。残り20%は運命や偶然で回避不可能な事も起こる。そういえば前回の続きもあったな。今回また長くなってしまったので、次回また書くね。この日記へのリクエストや質問があればポストに入れておいてくれれば出来る限り(忙しいので確約は無理だよ)取り上げていくからね。


6月26日

日光サーキット /曇ときどき晴 /路面温度37度

今日の日光サーキットは、レイテックの仕事ではな〜い。しかしついついカメラ持参でカシャカシャやってしまうのは長年の習性でなぁ〜。イベント参加者はFCARというパソコン通信で出来たRX−7のワンメイククラブとRJ(ロータリージャパン)というインターネットで出来たRX−7のワンメイククラブのメンバーを中心に集まった人々。ビギナーが多いということで、主催者のY氏からインストラクターを頼まれていたのであ〜る。
 走行前にビギナー対象の1時間弱ほどのミーティングをやり、あとは簡単なアドバイスや同乗などを行なうのが基本任務。そのミーティングで昨年コースアウトしたドライバーを引き合いにして「無理をしてはいけない!
 最後まで無事に走りましょう!」とやったのだが、なぜか朝から赤旗中断が多い。
 「困ったものだぁ〜」などと言っているうちに、最終コーナー立ち上がりでコンクリートクラッシュ! なんとドライバーさんは、昨年見事なコースアウトで山登りを遂げた人物らしい。しかも、朝のミーティングでは自分のハナシを引き合いに出して説明するドラキンのハナシをニヤニヤしながら聞いていたらしい。彼から状況を聴取してみると、急激なアクセルオンでパワーオーバーステアを出してしまったらしい。

 そこでドラキン特別講座開設。投稿システム完成してないので特別サービス!

○ハイパワーリヤ駆動車で急激なパワーオーバーステアに見舞われたらどうするか?

○ANSWER

 大方のドライバーはビビってアクセルオフする。それも一気に全オフするのだ。アクセルオフすると、タックイン(急激なフロント荷重でフロントタイヤのグリップが増す)するため、パワーオーバーステアで一気にアクセルオフすれば、さらにスライドが増長されるワケだ。

 このままではマズい。またこれだけならば、その場でスピンしてOKなのだが、無駄な抵抗でカウンターを当てようなどと考えると最低の結果が待っている。体でスライドコントロールを覚えているヒトならアクセルコントロールでリヤタイヤのグリップを回復させられるが、多くのドライバーはダメ。長くなったのでこの続きは次回をお楽しみに。

 次回の日記は6月29日の筑波サーキットだよぉ〜。


6月15日

筑波サーキット /ドライ /気温28度

 今日のメニューはナゾのオイル添加剤のテストである。テスト車はミニとパンダ。実はある方を通じて油温の下がるオイル添加剤があるというので、急にテストすることになった。ミニの実績によると、間違いなく油温が下がり、エンジンが軽快になり、燃費向上するという。

 そんなにウマくいくなんて、怪しいハナシと思ったが、仕事だからシブシブと筑波サーキットに出かけた。梅雨なのに、なかなかの天気。ミニにのるのは5年ぶりくらいかな。パンダの方は毎度お馴染みのあ〜るパンダ。なぜパンダまで持ち出したかといえば、同じ1000ccのミニとフィーリング比較したかったことと、前回6月1日にあ〜るパンダで筑波を攻めると5ラップで油温計が振り切ってしまう(145度)のでナゾの添加剤が本物かをハッキリ試してみようと思ったのだ。

 正直なところ、あ〜るパンダは岡道太クンという読者に年間契約でレンタルしてるため、メンテは完璧にしておきたいのだ。だから信用できないオイル添加剤なんて入れない。しかし、なぞの添加剤はギネスブック認定だという。ここに惹かれてテストすることになったのだ。結果はスゴイことになった。

 近頃レイテックの売り込みがウマくなったドラキンでした。次は6月26日の日光サーキットの模様だよ。


6月6日

仙台ハイランドレースウェイ

 あ〜るカップ仙台シリーズ第2戦が開催された、この日「あ〜るセブン」で仙台に向かった。実はセブン はPPF(パワープラントフレーム)のボルトが緩んでいるため、増し締めするまでサーキット走行は無理。  純正PPFには、昨年の仙台ハイランドで開催されたあ〜るカップ仙台シリーズ最終戦で、ニセドラキン 走行中にクラックが入ってしまい、仙台からの帰路で完全に折れてしまったため、マツダスピードの強化タ イプに交換してあるのだ。

 ところが仙台に出かける数日前にPPFを止めるボルトの緩みを発見。修理する スケジュールが間に合わないので、サーキット走行は断念することにした。通常走行では特に問題なし。昨 年はPPF事件の前にもエンジントラブルが発生しており、どうもあ〜るセブンにとって仙台方面は鬼門ら しい。次回9月の第3戦は大丈夫だろか?  

 ところでサーキット走行しないでサーキット出張するのは久しぶり。目的はあ〜るカップシリーズのクラ ス区分全国統一のための下準備。参加ドライバー達のデータを打ち込んだノートパソコンを持ってハイラン ドに乗り込んだのだ。それからパソコンと3時間の格闘。やっぱりコース走ってる方が性に合ってるな。パ ソコンで3時間も何やってたかって? それはレイテック8月号読んでね。


6月2日

鈴鹿サーキットその2

 さて、Luckアルテッツァのレポートについては7月9日発売の「Ratech8月号」にもレポート掲載しているので、ここでは簡単に。この日がシェイクダウンだったLuckアルテッツァにドッキングされるのはHKS製GT3032タービン。シェイクダウンテストのメインメニューはタービンドッキングに伴う燃料適合。それにラックエルシュポルトとDLのニューSタイヤD01Jのマッチングテスト。  

 燃料適合については、5速全開区間のある鈴鹿サーキットでは高負荷によるオーバーシュートが頻発したため、ピットインを繰り返しながらセッティングを詰めてゆく。最後にはパソコンを手にした担当エンジニアを助手席に乗せてコースイン。テストドライバーとしては、やや気を使ってしまいドライビングに集中しにくい状況ながら、担当エンジニアの根性には舌を巻いてしまった。自分が助手席でパソコンいじっていたら、間違いなく逆噴射してしまうだろう。  続くはフジツボパワーゲッターを装着した34GT−R。こちらの目的はサーキットを攻めることよりマフラーサウンドをCD−ROMに収めることが目的。

 リミッターの解除をしただけの仕様ながら、マフラー交換による最大ブーストは1.1k。パワーも400馬力は越えているでしょう。パワーを稼ぐために苦労しているアルテッツァとはきわめて対照的。お手頃価格のベース車にチューニング費用を投資するか、高額ベース車にお手軽チューンで済ませるかが、ちょっとした経済学だね。詳しいことは、ぜひ「Ratech8月号」読んでみてね。それと6月号の書店在庫が薄くなってきたので、まだ手に入れてない方は急いでね。サーキットで会えない方はROMの中でお会いしましょう。  


6月2日(水曜日)

鈴鹿サーキットその1 /曇ときどき晴 /気温25度

 続いては、ラック鈴鹿ミーティングで鈴鹿サーキット。ラックさんで開発したアルテッツァターボのシェイクダウンテストと34GT−Rに装着されたフジツボパワーゲッターマフラーのサウンドチェックがおもな目的。長くなってしまうので詳しくは次回ね。


6月1日(火曜日)

筑波サーキット /晴 /気温27度

 その1  昨日は車楽人アソシエーションのイベントで筑波サーキット。引き続きエボ中のクーペフィアットのサーキットチェックとあ〜るパンダのセットアップがメインメニュー。もちろん車楽人名物の長〜いドラミもやって参りました。ドラミのテーマは「アクセル全閉しないでクラッシュを回避」だったのだけど、シビックさんが最終コーナーでハデなタックインクラッシュをやってしまったのだ。

 ステアリングの戻し遅れと急激なアクセルオフによるイン側への巻き込み。スピード出てる場所だけにクラッシュの衝撃はでかい。なかなか言葉だけでは伝えきれないのが空しかったりする。アンダーステアでステアリングをどんどんイン側に切り足しているところからアクセル全閉すると急激にフロントタイヤがグリップ回復するため、コーナーのイン側に巻き込んでしまうのよ。そういう状況は感覚的につかみにくいのだけど、コーナー立ち上がりではアクセルオフはハーフが基本だからね。


5月25日

サーキットオフ

 TIサーキットのテストからサーキットには出かけていない。近頃は以前と比べて管理事務や執筆作業が多くて、サーキット放浪の機会がめっきり減った。そこで事務の嫌いなドラキンは考えた。「雑誌だけではなくて、Webの取材、それもドラキンサーキット日記の取材と称して会社を脱走すればよいのだ!」う〜んナイスな発想。  

 ではいかにして出かけるサーキットを決めるのかが問題。公式に募集してしまうとヤバイので、水面下での折衝に応じることを基本にしよう。そうそう、まだサーキットでドラキンに会ったことのない方のために簡単に説明しておこう。実はドラキンはドライビングよりも口がうまいのだ・・・・いや夏だからビールがウマい。それと情熱の夏だからギャルもウマいのだ? 

 つまり、そのぉ〜・・・ですねぇ、ビールとギャルがエサならばドラキンが簡単に釣れるという図式だな。なんて単純な奴。このような事ばかり書いていると実態がバレる、ではなくて五回じゃなくてごかい(釣りのエサ)でなくて誤解されるから、違うハナシ。  今日から書籍の執筆を始めました。長年スピマイシリーズに連載を続けてきたドラキン講座がコミックになるのさ。そのための執筆。いつ出版されるかは今後の執筆スケジュール次第だな。


5月17日(月)

TIサーキット /晴れ /激暑 /WESTコルベット

 度々誌面でも取り上げているとおり、近頃アメリカンスポーツカーがお気に入り。それはスポーツカーにとって重要なアクセルレスポンスの素晴らしさによるもの。今まではターボ付き国産ハイパワースポーツをテストする機会が多かったが、それらとは全く違う大排気量NAのトルク感とレスポンスには感激。NAスポーツカーにはフェラーリ355やポルシェRSがあるが、これらとも全く違った独特なもの。駆動方式もMR・RRではなくFRなのだ。つまりサーキットを楽しめるスポーツカーの選択枝がひとつ増えたということね。

 気になるタイムはSタイヤ(アメリカ製のフュージャー装着)で42秒03を記録。エンジンがインジェクタートラブルで不調だったこと、セッティング目的の走行だったことを考えると、この先どこまでタイムが伸びるか無限大。レイテック8月号で誌面&CD−ROMを使って詳細をお届けするからお楽しみに。セッティングのマル秘テクはアメ車嫌いの方でも必見だよ。それにコルベットのこと分かったらきっとアメリカンスポーツカーのことを見直すと思う。  

 次回は6月2日に開催される鈴鹿ラックミーティングに出かける予定。参加予定の皆さんは、その時に会いましょう。気軽に声かけてね。