2001年11月04日

トンネルには出口があるものです

 このトンネルに入った時には、果てしなく、明かりひとつなく暗い場所だと思っていました。身体には傷を負い、誰もいなくて、大きな声で叫んでみました。すると微かにロウソクの灯がともり、1ヶ所が2ヶ所、やがてあちらこちらに灯りが広がってゆきます。
 ほのかな灯りでも数多くの灯りに導かれ、かすかに出口への道標が見えたような気がしました。道標を頼りに歩みを進めようとして一歩踏み出したあとに、元居た場所を振り返ってみたら、今まで自分が立っていた場所に電源スイッチがあって、おそるおそるスイッチオンしてみたのです。
 トンネルの中は一気に明るくなりました。暗闇の中で見えなかったモノが次々と浮かび上がり、ほのかな灯りだったロウソクの色も次第に分かってきます。まだ火が灯されていないロウソクのある事も分かりました。たくさんのロウソクを手に、あとは出口に向かうだけです。
 トンネルの出口がハッキリと見えましたので、いきなりですが幕引きとさせていただきます。日本海間瀬サーキットは、今よりずっと安全に楽しめるサーキットへと変貌してゆく事でしょう。暗闇の中でロウソクに火を灯して下さった皆様ありがとうございました。心から感謝いたします。




2001年11月01日

多くの方が日本海間瀬サーキットを考え、事が動いています

 御見舞いや励ましの声とともに、たくさんの方から情報や御感想をいただいています。明日(2日)には間瀬サーキットの取締役の方が、私の拠点である東京にいらっしゃいます。ようやく間瀬サーキット側の状況説明、今後の意向などを直接聞けるところまで来ました。スコーチ大竹さんに奔走いただいた結果です。未確認情報ですが、事故現場の周辺には手が加えられて絶壁が階段状になった、同じ場所では何度も転落事故があって全損したクルマも少なからずあった等などの情報もいただいています。少しずつ事が動いているのですが、必ずしも良いことばかりではありません。
 30日に懸念する事として書いた現実に直面しています。「予定していたイベント参加を見合わせる事にしました」という方、「参加にあたって安全管理について間瀬サーキットの方に事前に確認します」という方、「場合によっては来年以降のイベント開催中止を検討する」というイベント主催者の方、「あの場所が危険であったとしても他には走る場所がない」という方など様々です。私の今回の行動は、様々な議論が巻き起こる事を望んで起こした事ですが、正直な思いは複雑です。感じる事、行動する事は10人10色ですから、必ずしも私の望むことばかりではありません。今はただ同じような事故が起こらない事を祈るばかりです。




2001年10月30日

日本海間瀬サーキットの続報 /望んでいる事とは違う展開

 皆様に励ましの声をいただき、体は日々順調に回復しています。22日に、私が最初に間瀬サーキットでの出来事を書いた時に望んだことは、何かしらの施設改善が行なわれることでした。やや思い上がっていたのかもしれませんが、間瀬サーキットに携わる方々に何かを感じていただきたかったのです。でも現実は甘くないようです。立場が変われば考えた方も異なりますし、まして利害関係が発生するとなれば如何ともし難いことが多々あります。やはり客観的な判断が必要になるのでしょうか? 
 間瀬サーキットを走る方々のみならず、多くのサーキットランナーの方々に問題意識を持っていただき、僅かかもしれませんが世論のようなものが形成されつつあります。そうなると言いたくない事を申し上げなければならない場合もあり、またより正しい理解を多くの方に求めるために細かな説明が必要となってきます。私の望んでいる事とは違う展開なのです。
 出来ることなら進展のあった御報告をしたいと日々願いながら朗報を待っているのですが、残念ながら果たされていません。今日書き記すことは、サーキット関係者のハナシという枠を出た話です。つまり公な判断を求めるという活動の一貫として、今の私が日々の活動の中で識者の方々からアドバイスいただいている内容です。裁判で言えば「手の内」ということになりますから、あまり公にすべき事ではありませんが、私は性格的に隠し事が苦手なため学生時代からマージャンでは万年カモネギだった実績の持ち主です。不利とわかっていても、手の内を明かしてしまう悪い癖があります。
 私が当日乗っていたクルマは、そのまま車検にも通る普通のナンバー付き車両です。車両保険を含めた自動車損害保険には、きちんと加入しています。つまり一般公道で事故を起こした場合には、全ての損害が保証される訳です。ところが通常の契約とは異なる特殊な保険を適用しなければ、サーキット走行中における損害は保証されないのです。したがって、私は全ての損害を今のところは自費で払っています。しかも半月に渡って通常の半分以下の仕事しかこなせないため休業損害まで発生していますが、何ら保証されないのです。つまりサーキット走行を行なうということは、それだけのリスクを伴うという事を意味します。また保険の適用範囲外ということは、サーキットという場所が危険度の高い場所であり、その場所を管理することには大きな責任が伴い、出来る限りの安全確保に務める義務があることは明白です。サーキットを走行する事には、そのリスクを冒してもなお走り続ける情熱をかきたてる、動機と魅力があるのだと思います。さらにサーキット走行に関するスペシャリストによって運営される信頼があってはじめて可能となる行為ではないでしょうか? 
 極端なことを言えば、峠道で速度違反・センターラインオーバー・安全運転義務違反などを繰り返した挙げ句に事故を起こしたとしても、損害は全て自動車保険で担保されますから、わざわざ遠いサーキットまで赴き、また参加費や走行料金を払う必要があるのか? という議論になってしまうのです。ただし、社会的常識をわきまえ、また自ら墓穴を掘るような行為(大好きなスポーツカーで走りを楽しむ事が反社会行為となって、走る場所を次々と失って行く事実)であることの自覚があれば、サーキットという「合法的かつ安全な場所」でスポーツドライビングを堪能するという事は、社会的意義を伴い、モータースポーツという文化の基本となるものでなくてはならないのは、どなたにも理解出来るでしょう。
 私が今まで行なってきた活動の多くは、こういったサーキットスポーツの啓蒙活動そのものでした。思い上がりかもしれませんが、サーキット関係者の方々との信頼関係を持って仕事をしてきたつもりでいたのです。言い換えれば、サーキット経営という事業とサーキットで働く方々に対する信頼に裏打ちされたものであったのです。「サーキットにそこまで求めるのには無理があるのではないか」と言う方もいます。「サーキットという特殊な場所には通用しない社会常識があるのでは」という意見もあります。果たしてそうでしょうか? 全てのドライバーに対し、交通法規による罰則があり、常に自動車を運転する行為に対する社会的制約のある一般公道においても、安全に対する諸施策(道路を管理する)には様々な規制や義務があり、分りやすく結論を言えば、転落の危険のある場所にはガードレール(相当する転落防止装置)を設置しなければならないのです。明らかに一般公道よりも高い速度による走行、クルマの限界に近いコーナリング行為、時にはレースを行なうサーキットにおいて、安全施策に手抜かりがあってはならないのは明白なのです。管理者の免責を前提に無料解放されたとか、管理者不在の中で事故が発生したとか、事前に想定された事態を超えた出来事が発生したとか、そういった内容ではありません。サーキットは決して治外法権の場所ではないのです。




2001年10月28日

日本海間瀬サーキットの続報 /少し考え方を改めました

 レイテックはどちらかといえば雑誌的HPであるため、情報を提供する事が中心となり、読者(正しくは訪問者だと思うのですがレイテックの特徴ですから敢えて)の皆様から頂くメールや掲示板の書き込み等は少ない方なのですが、今回の件については多く方から御見舞や御意見を頂き、何度お礼を申し上げても足りません。本当にありがとうございます。
 すでに動き出してしまった事ですし、重大な責任を感じていますので御報告は出来る限り正確かつ迅速に続けてゆきたいと思います。別のページで御紹介しました通り、東京モーターショーをキッカケにジャーナリスト活動を再開しましたし、守ってくれた御先祖様へのお参りも無事済ます事ができました。簡単には直らなそうですが、日常的な活動は徐々に復旧しています。
 皆様から様々なメールや電話を頂く中で、私なりに考え直す点が出てきましたので改めて御報告しておこうと思います。今回の件で色々とお世話になっているスコーチ大竹さんをはじめとする地元主催者の方々に関する事です。22日の御報告の中で、私は「間瀬サーキットを走る事を自粛願いたい」と申しました。繰り返しになりますが、間瀬サーキットの営業妨害をするつもりはなく、間瀬サーキットを走る皆様のリスクを考えての事です。ただし見逃していた点がありました。間瀬サーキットとイベント参加者の間に挟まれてしまう主催者の方々の置かれる立場です。全ての方と連絡を取っている訳ではありませんが、少なからず主催者の方々は、間瀬サーキットが危険なサーキットではない事、走って楽しいサーキットである事を前提に参加者を募り、様々な工夫と努力を積み上げてイベントを開催しているのです。今はサーキットのハイシーズンですから、多くの主催者の方々が昨年からスケジュールを確保し、イベント開催準備を進めてきた背景があります。そこで「間瀬サーキットは危険だから走る事を自粛願いたい」と私が言ってしまうと、そういった善意の主催者の方々にとっては死活問題となりかねません。幸いなことに、私にメールをいただいた方々は主催者の方と懇意にしているようで「おつき合いがあるので参加します」という御報告をいただきました。しかしながら、はじめて間瀬サーキットを走ろうと考えていたり、特別懇意にしている主催者のいない方々の場合には自粛ムードが出てしまう訳ですから、イベントの採算(慈善事業ではありませんから当然です)を考える主催者の立場としては心中穏やかではないでしょう。
 かといって万一の事態を考えると「どんどん走って下さい」とも言えませんから、是非お願いしたい事があります。レイテックを御覧いただいている間瀬サーキットランナーの皆様と主催者の皆様がサーキット側に対し施設改善の要望を出して頂きたいのです。すでにスコーチ大竹さんには奔走いただいていますが、私の立場における今の段階では、訴訟がベスト(望んではいません)と考えて準備していますが、施設改善については多く方々の声が最も強力な原動力となるでしょう。
 既にレイテックは当事者である間瀬サーキット側の方にも読んでいただいており、なお連絡を頂けない現状から考えますと、ヘタすると宣戦布告のように取られてしまっているのかもしれません。しかし最も大切なのは、私のように東京に居て評論家のような事を書いている人間の声以上に、間瀬サーキットを愛する地元の方々の声が上がる事だと思います。
 今のところは「何かが変わった」という話はどこからも出てきていません。私の情報不足なのか、本当に何も変わらないのかは不明です。決して無理難題を申し上げているのではないと思うのです。「認めてしまうと負け」などと思っているとしたら本当に心外です。まず出来る事からではないでしょうか。もし何かが変わったのであれば、是非教えてください。注目いただいている方々にありのままをお伝えしたいと思っています。話し合いについては、スコーチ大竹さんを通じて具体的な日程の申し出がありました。それまでに何かが変わってくれる事を心から願います。




2001年10月24日

日本海間瀬サーキットでのこと /今日までの正しい情報の御報告

 たくさんの方々から励ましやお見舞いのメール、電話、掲示板への書き込みをいただきました。本当に生きていてよかったと思います。皆様ありがとうございます。感謝の気持ちとともに改めて自らの置かれている立場を考え、メディアに携わる人間として偏りのない正しい情報を提供すること、またサーキットスポーツを愛し啓蒙する1人のドライバーとして、サーキットでの様々なイベントを開催するプロモーターとして、皆様とともにサーキット走行における安全確保について考え、様々な対策に取り組んでゆきたいと思います。今回の事故につき、多くの方々に関心を持っていただくことで、懸案の間瀬サーキットがより安全で、多くのサーキットドライバーに愛されるサーキットへと変貌してくれる事を願いますが、いたずらに誤った情報が伝わり伝言ゲームのようになってしまっては困りますので、改めて当日から今日までの経過についての詳細を書き記すことにしました。
 当日のイベント運営にあたっていたスコーチ及びFET新潟営業所の皆様、apマガジンの取材協力で一緒にイベントに参加していたマジカヨ田中選手には色々とお世話になりました。東京まで帰るための手配、間瀬サーキットに残してきたクルマの荷物やクルマ本体の引き取りの手配など、御懇情に対し心から感謝しております。
 東京に戻り、病院で治療を受けながら熟慮を重ねた結果をEメールにて主催責任者のスコーチ大竹さんに送りました。まずは今回の事故に対し、主催者の立場からの見解を求めたのです。今回の事故がサーキットで突発的に起こる不運な事故とは異なり、間瀬サーキットが慢性的に抱える問題によって引き起こされた人災であることを大竹さんは認識しており、さっそく間瀬サーキット現場管理者の方々とミーティングの場を持ってくださいました。コントロールライン先のメインストレートアウト側が、あれほどの危険箇所であることは間瀬サーキット協力会の一員である大竹さんでさえ御存じでなく、さっそく施設改善の要望を出していただけました。また当日の主催者の不備についても率直な謝罪をいただき、また大竹さんが素早く事態の重要性を認知し奔走いただいていることに、私は報われております。現地担当者に続き、大竹さんは間瀬サーキットの役員ともミーティングの場を持ち、来月早々には、私を含めた当事者3者で話し合いの場が持たれることになっています。今回の施設改善要求ならびに損害に対する民事訴訟は決して本意ではありませんから、話し合いにより施設改善や現場の体制見直しが早急に行なわれるよう願いますが、間瀬サーキット側とは微妙な温度差があります。
 22日まで私が事件の具体的公表を控えた理由は、その間に施設改善に対する何らかの対応が間瀬サーキット側に見られる事を期待したからです。損害賠償云々の事は後日でも構わないでしょう。しかし、その間に万一同じような事故が発生したら取り返しのつかない事になります。公表をためらった私は生涯に渡って後悔することになるでしょう。決して間瀬サーキットを敵視している訳でもありませんし、恨んでいるのでもありません。ましてや営業妨害する事などあり得ないのです。
 私と間瀬サーキットの関わりは、昭和の時代にまでさかのぼります。長年閉鎖されていた間瀬サーキットが営業再開された直後に雑誌オプションのイベント運営にあたるため、モータースポーツクラブWARPのメンバーとともに間瀬サーキットに赴いたのが始まりです。96年には、当時の間瀬サーキット広報担当であった斉藤氏からの依頼を受け、スコーチ大竹さんとともにFET&スピマイあ〜るモ−タ−スポ−ツカップをスタートさせました。今日のFET&apモ−タ−スポ−ツカップの礎となったイベントです。来年からは、他のサーキットで開催されているapカップシリ−ズとレギュレーション(おもに参加車のクラス区分)の統一をはかり、ますますイベントを盛り上げるための準備に着手した矢先の事故でした。
 正確な記憶ではありませんが、私の車両が転落した場所は以前コンクリートウォールと金網になっており、ウォールの外側は盛り土のような小山になっていたと思います。私の知人のGT−Rが以前に最終コーナーでコントロール不能に陥ったままウォール上部に激突し、ドライバーの頭部を金網のフレームが貫通するという痛ましい事故が起こった事があります。幸い彼は一命をとりとめました。その後、現状のような施設に改修が進んだと思われるのですが、老朽化の進んでいる間瀬サーキットの施設については、多くの方が危険箇所を指摘していたようです。今回の事故現場が、何故いまのように以前にも増して危険な状態のままに放置されているのかは不明です。現状が危険な状態であることが全く認識されておらず、今回のような転落事故が全く予想できない事であったのなら、私の犠牲は今後の布石として処理されても仕方ないのかもしれません。しかしながら、現状となった後にも転落事故が起きた事実があり、またそういった危険箇所が事前にドライバーに周知徹底されていないところに重大な問題があります。事前に転落の考えられるケースは2通りあり、その2通りが同日の数分のあいだに起こってしまったのです。ケース1はレースを行なった場合のスタート直後の混乱による衝突で転落するもの、ケース2は最終コーナー立ち上がりでコントロール不能に陥って転落するもの。これらが僅か2周回の間に起こった事実を考えるに、全く事前に想定不可能であった事故と言えるでしょうか? ハッキリしていることは転落現場地面の凹凸部分にせめて盛り土してあれば、またエスケープゾーンアウト側に木製のしっくいを打込み廃棄タイヤを事前に積み上げておけば、転落車の損害、乗員の傷害を最小に食い止めることが出来たという事実です。
 発注から作業までに果たして何日も要する工事なのでしょうか? サーキットが経費負担をためらうような金額の工事なのでしょうか? 対策する意志がないと考えざるを得ません。私が当日から今日までに率直に感じていることは、間瀬サーキットの現場担当者は、私を犠牲者であるとは考えていない事です。当日私は数年来懇意にしてきたサーキット現場責任者から信じ難い言葉をもらっています。「不運だったねぇ。シロートは恐いんだよ」。つまり彼は、私に衝突して来たシビックのドライバーのミスだから仕方ないと言いたいのでしょう。また当日イベント終了後の夕刻に、間瀬サーキット関係者によるポンコツ車両を使用した内輪なレースが開催されたそうです。「あんなところでワザとブツけたら飛び出しちまうよ・・・」無神経な会話が交わされる中、私は苦痛に堪えながら送迎車を待っていました。14日以来、今日まで間瀬サーキットの関係者からは、ただの一度も私の容態の確認、お見舞いの言葉すら受けていません。現状のままでは施設改善が行なわれるとは到底考えられません。私は、やむおえず民事訴訟を決意するに至りました。間瀬サーキットを走っている方々から色々な情報をいただけると幸いです。




2001年10月22日

10/14 日本海間瀬サーキット  あと数ミリで命を落とす瞬間

 かつて無かったことです。そのためにあらゆる努力をしてきたドライビングは、私のライフワークでした。峠道を走るようになって20年、サーキットデビューから17年、レースデビューから13年。はじめてクルマを運転中に負傷しました。クルマがサーキットのコース外に飛び出し4m転落したのです。ベルトは完璧に締めていましたが、ハンドルに胸部を強打し胸骨を骨折しました。胸骨というのは聞き慣れない骨ですが、ろっ骨を中央でまとめているところで、心臓に行く大動脈のすぐ手前にある骨なので、骨折すると心臓や動脈破裂で死亡する危険のある部位です。あと数ミリで生きていなかったでしょう。すごい激痛でしたが、コース上で赤旗が出なかったため、目の前に後続車が飛び出してくるような事態が起こり、現場にいることはきわめて危険でした。その場にいた人全ての安全を確保するため、やむおえず私はまったく救護されることのないまま斜面をよじ登り、パドックまで歩いて戻りました。ろっ骨が折れたであろうことは自覚できましたが、生命の危機ある部位の負傷であることはわかりませんでした。言い換えれば運が悪ければ、当日死亡する危険があったということです。もし出血していれば、パドックに向かう道中で意識不明になっていたでしょう。
 公表することに迷いがありましたが、事の次第を全て書くことにしました。「サーキットは安全な場所だから、スポーツドライビングはサーキットで行なうべき」と提唱し続け、「万一の時でもサーキットは安全な場所」と啓蒙し、「ドライビングテクニックの習熟は必ず自らの身を守る」とスクールで激を飛ばし、サーキットに関する様々な寄稿を続けてきた私の全てが崩れ去った瞬間です。この1週間はレイテックHPにサーキットやドライビングに関する原稿をアップすることも自粛しながら熟慮を続けました。今こうして真実を書いているのは、サーキットに関する正しい情報を皆さんに伝える事は私の義務であると考えたからです。14日開催のFET&apモータースポーツカップ取材でRクラスのレースに参戦しました。ブーストコントローラーの不調でブースト圧があがらず予選タイムが低迷し、4番グリッドからのスタートでした。グリッド上でエンジン停止していたため、エンジンスタートの合図(旗を回転させる)と思ったメインポストマンの動作は、実は赤灯点灯の合図で、勘違いした私のスタートがコンマ数秒遅れた事が運命だったのでしょう。後続の1台に追い越された直後に右側から他車と接触した白いクルマ(のちにシビックと判明)が飛んできました。コース最左端を走っていたため衝突で一気にエスケープゾーンに押し出されました。シビックは完全にコントロール不能に陥っているようで、エスケープゾーンを走る私をさらに押し出す結果を招きました。普通であればガードレールなどのバリアにあたって事なく止まるクラッシュでしたが、私がはじき出された先には何もなく、4mの宙が待っていました。私がたまたまその場を走っていなければ、シビックが間違いなく転落したでしょう。ステアリングをめいっぱい右に切り込み、クルマはわずかに右を向きましたが、あとは何も成す術がなく、フロント左から地面に90度の角度で叩き付けられました。
 多くの方がご存じのように、サーキット走行は一般道とは異なり、走行中の安全を確保するための様々な方策がとられ、また走行中は主催者やサーキット担当者(ポスト要員やコントロールタワー要員など)によって常に安全確保のための監視を受けています。また単独で走る機会はほとんどなく、多くの場合は同じコース上を複数の車両、ドライバーが走行します。そのためレースや走行会の参加において、ドライバーは誓約書を書き、自らが受けた損害を他のドライバーやサーキット管理者・要員に対して責任追求しない事を誓約します。
 私はそういったサーキットルールに則り、混乱を招いたスタート手順の不備、他のドライバーのミス、赤旗を出さなかった主催者やサーキット管理者の誤った判断、救護活動の不備については、責任追求すべきでないと考えています。ただし危険な施設に対してはどうでしょう。ガードレールを突き破ってしまった、バリアを越えてしまった、当たり所が悪かった、という類ではありません。転落する危険のあることが明らかである場所に、何もなす術のないままに転落してしまうのです。サンドトラップもない芝の先には4mの絶壁が待っているのです。そこに転落すれば何が起きるか解らない人はいないでしょう。
 私は四国、北海道、九州にある数カ所のサーキットを除き、全国約30箇所のサーキットでの走行経験を持ち、コースにも精通しています。今回走行していた間瀬サーキットの走行経験も10回以上あり、当然コースには精通していますが、このような危険箇所の存在は知りませんでした。私の知る限り、このような一般公道よりも危険と思われる場所をサーキットで見た記憶もありません。事故の翌日様々な方に確認しましたが、間瀬サーキットでイベントを主催する方でこのような危険箇所の存在を認知している人はいませんでした。したがってイベントの開催に際して、ドライバーが事前に注意を促されることもありません。私自身も全く気付きませんでした。他のサーキット同様に最低限度(一般公道を基準に考えた場合)の安全は確保されていると間違った認識をしていたのです。詳しくは調査中ですが、同じような場所に転落した車両が以前にあり、当日も2台の車両が転落した次第です。後続で飛び出してきた、もう1台別のシビックは、スピードが出ていたために絶壁を飛び越えた先の山に屋根から転落しました。ナンバーをとりはずした完全なレース用車両であったため、彼は幸いなことにロールバーに身を守られムチウチで済みましたが、もし普通の車両であったらどうなっていたでしょうか。
 私はこの危険な施設に対し、人ではなく法人たるサーキットを提訴する決意をしました。もし私ではなく、私のクルマに衝突してきたシビックが転落したのであれば「ドライバーのミスだから仕方がない」で全て片付けられていたことでしょう。幸か不幸か私の過失は、ただその場を走っていたことだけです。一般公道に例えれば、渋滞最後尾で徐行している時に追突されたようなものでしょう。ドライバーとして操作ミスをしたことは全くありませんし、最もミスしにくい立場の職業ドライバーですから、この施設の危険性はより明確となります。人の過失は起こりうる事で仕方のないことでしょう。ただし、レースをはじめとするスポーツ走行を行なう上で、この施設で営業活動することは企業として許されません。私は断言します。施設が改善されない限り間瀬サーキットは誰も走るべきではありません。万一このまま放置して死亡事故が起これば取り返しのつかない事ですし、間瀬サーキットの存亡にかかわる事態になるでしょう。私は自らのライフワークを崩壊させた現実への憤りとともに、今後も間瀬サーキットが存続することを願って決意したのです。これを読んだ皆さん及びその周辺の方々が間瀬サーキットを走ることを自粛して下さることを願います。また同時に一刻も早く施設改善が行なわれ、皆さんがより安全に間瀬サーキットにおけるスポーツ走行を楽しんで頂ければと願います。
 それが今犠牲となって苦しんでいる私が唯一報われる事であるからに他なりません。仮に訴訟で私が勝ったとしても何も得する訳ではなく、社会正義を貫くに過ぎません。この事は、世間を騒がしている人災による狂牛病と何ら変わりありません。安全よりも企業活動による営利が優先された結果が、今回私が被った損害の全てなのです。

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